言葉には感情語と論理語の二種類があります。
「ウザい」「ヤバい」「ビミョウ」「ウケル」といった言葉でしか自分の気持や考えを伝えることができなくなってしまうことが問題です。
なぜなら、人と人が分かり合うためには論理語が必要であり、感情語だけでは自分の気持は決して伝わらないからです。
AさんがBさんに「Cさん、ウザい」と言えば、そのBさんにはAさんがCさんに対してウザいという感情を持っているということは伝わります。
でも、その理由まではわかりません、
AさんがBさんに「Cさん、ウザい」と何度言っても、Bさんは「ふーん……そうなんだ……?」くらいで受け取るでしょう。
感情語だけでは、本当の気持ちは伝えられないのです。
ここでAさんが「~だから、Cさんがウザい」というふうに、きちんと筋道を立てて話すことができれば、Bさんも「それは確かにウザいね」となるでしょう。
こんな風に、わかってもらうためには論理が必要なのです。
この前、母屋で食事したときに5歳の小春が言ったセリフで、上記の話を思い出しました。
いただきますをした後、その場におばー(私の母、小春の祖母)がいないことに小春は気づきました。
台所でトントントンと包丁で何かを切る音が聞こえます。
そこで小春が言いました。
「おばー、何してるのかなぁ。
デザートのリンゴを切ってくれているのかなぁ。
でも、リンゴを切っているはずないよなぁ」
私が小春に尋ねます。
「どうしてリンゴを切ってないと思うの?」
「だって、いつもはもっと食べ終わるころに切るでしょう?デザートなんだから。
でも、まだ食べ始めたばっかりでご飯がまだたくさん残っているのに切っているのだから、リンゴじゃないと思う」
結果、小春の言うようにおばーはリンゴを切っていませんでした。
お味噌汁に入れるネギを刻んでいたのです。
このとき「おばーはリンゴを切ってないよ!」「なんでそう思う?」「切ってないもん!」というやりとりでは、「おばーはリンゴを切っていない」という小春の主張を周りに納得してもらえません。
小春はきちんと筋道を立てて「今、ご飯を食べ始めたばかり。まだご飯がたくさん残っている。それにも関わらず切っているのだから、それはデザートのリンゴではない。デザートのリンゴなら、いつもご飯がほほ食べ終わってから切り始めるから」と説明したので、周りも納得したのです。
こうやって論理できちんと説明できたことを、その場で多いに褒めてあげました。
国語力というのは、日常で養われます。
「ヤバい」を使っていたら「それはどうして?」と質問することが大切です。
それ以上に、自分がそういう言葉を使わないようにすることが第一歩ですね。
我が子に論理力を身に着けさせるには、まずは自分から。
なんだってスタートは自分自身です。
がんばろう