縄文時代は今から約1万3000年前から2300年前まで、約1万年続きました。
この時代が日本人を形成しているように思います。
氷期が終わり、暖かくなって氷が溶け海が広がり、日本は大陸と寸断されて日本列島となりました。
その日本列島はそこまで食べ物に困らなかったようです。
もちろん、現代と比べたら毎日が「その日食べるものの心配」といったことになるでしょうけれど、それでも豊かさはあったようです。
豊かさがあるということは、争いがないということ。
豊かさがなくなると争いが起こりますからね。
日本でもたびたび起こった一揆や打ちこわしは、飢饉からくる豊かさの欠如に起因します。
豊かでなくなると「相手のものを奪ってでも自分たちの食べ物を得よう」という思考になり、争いに発展するのです。
日本は暖流と寒流がぶつかる潮境がすぐそばにあります。
海の幸は豊富です。
また、山では木の実も豊富です。
そうなると、動物も増えます。
よって食料確保も容易ということになります。
ただ、日本人は「人間も自然の中の一部」と認識し、「必要以上に動物を捕らない」としていたようです。
大きな木や大きな石、岩などにも神様が宿るとするアニミズムが浸透していたようです。
八百万の神々ってういうもんね
動物を必要以上に食べてしまい、数を減らしてしまうと、とたんに食糧不足に陥ります。
そうなると子どもの動物も食べるようになります。
動物が大きく成長するまで待てないのです。
しかし、日本にはそういった形跡が見られないそうです。
世界では「飢餓になる」→「動物の子供も食べる」となり、幼い状態の動物の骨が出土したりするそうですが、日本ではそういう例が少ないそうです。
そこから、縄文時代の日本人は豊かに暮らしていたということが導き出せます。
また、食料が不足すると隣人の食料を奪うという争いが生まれます。
そういう争いの形跡も見られないそうです。
逆に、他の地域との交流している形成が見られるそうです。
争いではなく交流して生活するというのは、日本では食料事情が安定していたということになります。
それが1万年も続くと「争いのない豊かな暮らしをするのが日本人」という、日
本人像が形成されます。
他の国々の人に比べると日本人は自己主張しない奇妙な人種に見えます。
自分の利益ばかりを求めて自己主張すると、他者のそれとぶつかり争いが生まれます。
争いは日本人にとって無用のもの。
争いよりも他者と仲良くする道を選んだ日本人は、自己主張が弱いのも頷けます。
自己主張の弱さは、他者とうまく交流することにも繋がりますからね。
これが大陸の中の一国となると話は別です。
自国の食糧が豊富だとしても、隣国が貧しかったら、その隣国は自国に攻め入って来ます。
隣国としても、他国に攻め入ってでも食糧を手に入れなければ自国民が餓死してしまうとなれば、必死で侵攻するでしょう。
そうなると防戦しないといけなくなり、望まなくとも争いに巻き込まれてしまうのです。
孫子の兵法は今でも語り継がれていますが、裏を返せば、それだけ争いが身近にあったということです。
対して、海で大陸と分断された日本列島では、他国からの侵攻の心配はほとんどなく、自国内で豊かに暮らせました。
そんな縄文時代も、稲作が伝わって米を貯蔵できるようになると、米を持つものと持たざるものの間で格差が生まれ、争いに発展します。
それでも弥生時代から現在までで約2300年ですので、縄文時代の1万年の方が遥かに長い期間です。
なので、現代もなお縄文時代にできた日本人の元となる「争いを好まない気質」というものが受け継がれているのだと思います。
戦国時代となってもそれが垣間見えるのは、戦に勝った方が負けた方を全滅させるということがあまりないところです。
相手が治めていた領地は今後もそのまま治めて良い、とする武将が多いのです。
これが大陸の国であったら、そんなことはせず、相手方についた人を全滅させる勢いで攻めるようです。
「全滅させないと生き残りがやがて自分の命を狙ってくる」という不安がつきまとってしまいますからね。
いろいろ考えていくと、日本人が日本人たる所以も、縄文時代の頃に出来上がっていたのだろうなと感じます。
でも、現在は海を越えるのも簡単で、島国の日本もいつ敵から狙われてもおかしくない時代。
みんなと仲良くと声高に叫んでも虚しく響く時代です。
争いを好まない日本人も武装しなければならない昨今はとても悲しい状況ですが、時代のうねりなので仕方ありませんね。
現代であれば世界中の飢餓もなくせるでしょう。
そして縄文時代の日本のように、皆で仲良く暮らしていければいいのになぁと思います。
が、宗教があるので難しいところですね。
核戦争が起こって文明が滅びたら、また縄文時代が来るかも?
それでもまた人類は同じことを繰り返すでしょ