何かが起こると、そこに目を奪われます。
突然ですが問題です。
939年に関東地方で反乱を起こした人物といえば?
そう平将門ですよね。
平将門の乱って935年じゃなかった?
昔はそう習ったよね
最近の研究では935年ではなく939年が有力になっており、教科書にも939年で載っています。
私としては「草ごと平らげ、将門の乱」で覚えたので「”くさご”の935年」の方がありがたかったのですが……。
関東で反乱が起こった場合、関東に目を向けます。
そりゃそうだ
こんなふうに、何かがあると、そっちに目が行ってしまうのです。
そりゃそうだ
かと思えば、同じ時期に今度は瀬戸内で藤原純友の乱が起こります。
関東に注意を払うと同時に、瀬戸内にも注意を払わなければいけません。
日本を治める朝廷も大変です。
こんなときに大切なのが「視野の広さ」です。
何かが起こると、そっちに目が行ってしまいますが、”それ以外の部分はどうなっている?”と目を向けられるかどうか。
戦国時代なら、敵の軍が正面から向かってくるからと行って、そっちに目を奪われていると、その隙に横に隠れていた敵軍からの攻撃を受けたり、後ろから狙われたりと、視野の狭さがそのまま死に直結していたかもしれません。
まあ、今でも車乗っているときなんかも、全方位に注意を払わないと死ぬよね
この視野の広さを問う問題を何度か見たことがあります。
それがこれです。
「虫眼鏡で太陽光を1点に集めました。ではその周りはどうなっているでしょう」
太陽光が1点に集められると、ものすごく明るくなり、眩しくなり、熱くなり、紙は燃えるし危険です。
だから、どうしてもその強烈な光を放つ1点に目を奪われてしまいます。
でもそのとき「じゃあ、その周りはどうなっているの?」と聞かれたらどうでしょう?
う、わからない……
虫眼鏡を使うと1点に光が集る、ということは分かっていても、その周りの部分については意識してなかったのではないでしょうか。
全然気にしてなかったね
でも、ちゃんと考えればわかります。
ある1点がものすごく眩しくなるのは「光がレンズで屈折して、1点に集まったから」です。
本来、虫眼鏡がなければ光は直進するはずでした。
それが虫眼鏡のレンズで屈折して、ある1点に集まったのです。
となると、その1点以外は光は当たっていないということになります。
よって、日陰や影と同じくらい暗くなります。
へー
NHKの動画をどうぞ
どうしても目立つ一点に目を奪われてしまいそうなとき、私はこの問題を思い出します。
「日本が平安時代、貴族が蹴鞠をしているころ、世界はどうなっていた?」という風に考えるのも、視野を広げる效果を生んでいると思います。
木を見て森を見ずにならないように、気をつけていきたいものですね。