今日は娘の保育園の運動会でした。
一眼レフカメラを抱え、写真をたくさん撮りました。
去年より良い写真が多いのは、カメラの設定をオートにしたからでしょう。
絞り値やシャッタースピードなど、余計なことを考えずに構図だけを気にして写真を撮ったのです。
ピントを合わせるのは手動でやったほうが良かったかなという思いもありますが、良い写真が多く撮れたので良しとしましょう。
現在のカメラやスマホはものすごく高性能なのでオート機能を使わない手はありません。
プロを目指すのでなければ、オートで十分だと思います。
自動車だって、レーサーを目指さない一般人はオートマがほとんどです。
簡単に操作できる方が重宝される世の中です。
「自動的に」使えるものは、使ったほうが良いと思う私です。
中学生が塾に行く理由の中にも、これが隠されています。
もし、塾に行っていなかったら、自分がする勉強は自分で考えて、自分でこなさなければなりません。
でも塾に行けば自動的に勉強内容が決まります。
中学生は、自動的に出てきた課題をこなすことに集中すれば良いのです。
この「自動的」は「考える力を育むことを阻害する要因」とも言えます。
自動的に与えられてばかりだと、指示待ち人間になってしまうなんて言う人もいるでしょう。
でもちょっとまって。
それが本当なら「塾に行っている子は指示待ち人間に、そうでない子は自ら動く人間になる」ということになってしまいます。
さて、世の中を見渡してみると、どうでしょう……。
「自動的に」与えられたものをこなす=指示待ち人間になる、という論はいささか無理があるということがわかるでしょう。
中学校の3年間という限られた時間の中でより多くの問題をこなすには、うまく自動化を使わないと行けません。
これだけ便利になった現在で、頑なにオートを使わないのはもったいないことです。
どちらに偏るでもなく、ニュートラルな位置に立って物事を見るようにしたいものです。