ベクトルを変えろっ!

ベクトルとは、向きと大きさの2つの量を持った概念です。

「東へ進む」「北へ進む」といった向きだけでなく、「3m」「5m」といった大きさも持ち合わせています。

東へ3m、北へ5mといった具合ですが、日常生活では「力が向く方向」とか「向かっていく方向」といった感じで使われますね。

「ゲームから勉強へベクトルが向いた」といえば、ゲームをする熱量が勉強に向かったことを意味します。

ゲームから勉強へ。

これはほぼ全ての親が望むことだと思います。

とはいえ、これが難関です。

ベクトルを変えるためには、深く考えないといけません。

そのためにはまず人間の特性を知りましょう。

人間とは「快楽がないと続けられない」という性質があります。

フルマラソンとか、ボディービルダーとか、なんであんなに自分を追い詰めてまで高みを目指すのか、不思議に思いますよね。

友人Y

信じられん

SHIMIZU

君からすれば、そうだよね。対極の人種だもんね

友人Y

俺だってフルマラソン、何回か走ったことあるぞ

フルマラソンも、ボディービルダーも、何かしらの快楽を見つけているはずです。

走ることが楽しかったり、タイムが縮んでいくのが楽しかったり。

筋肉がついた体を見るのが楽しかったり、と。

そういった楽しみを見出さなければ、ただの苦行です。

苦行は誰だってやりたくないし、長くはない人生なのだから、やりたくないことをやっている時間はもったいないのです。

スマホをいじってしまう、ゲームをやってしまう、こういったことにも快楽が隠れています。

お酒をやめられない、タバコをやめられない、も同じこと。

習慣はそれが良いものであれ悪いものであれ、その中に快楽が潜んでいるのです。

この快楽を追い求めることを「ベクトルが向いている」と言って良いでしょう。

では、勝手に快楽に向かってしまっているベクトルを、他に向けるにはどうしたらいいか。

他の快楽を示す以外にありません。

ゲームにハマっている子に、YouTubeを見せるのです。

そうするとYouTubeを見る楽しさに気づき、YouTubeにハマります。

逆にゲームをする時間が減ります。

友人Y

いやそれ、問題解決になってないじゃん

SHIMIZU

むしろ悪化してるか

友人Y

そうだよ。YouTubeの沼は深いんだぞ

確かにゲームからYouTubeへのベクトル変更はどうかと思いますが、でもベクトルを変えるというのはこうやってするしかありません。

我が家でも就学前の子供たちにタブレットを与えています。

SHIMIZU

時間やアプリは制限してるよ

時間が来たら勝手に使えなくなるので、ハマるということはありません。

でも「タブレットをできる時間がまだ余っている」という状態でも、外が晴れていれば積極的に散歩に連れ出したり、他のおもちゃで遊ぶように仕向けます。

子供達はまだまだお父さんと遊びたい盛りなので、私についてきてくれます。

そうやって、タブレット以外にも目を向けることで

「タブレットより、他のことのほうが面白い」とか

「外に面白い世界がある」ということを伝えています。

「タブレットを絶対に触らせない」という方針もあると思いますが、そうやって抑えてつけてしまうと大人になってから反動がくると思うんですよね。

なので、自然に「タブレットも使えるけど、使わないし、別に使いたいとも思わない」くらいのスタンスになるのが理想だと考えています。

友人Y

免疫大事やね

さらに、我が家では「外の面白い世界」の一つとして「パズル」「将棋」「勉強」を提示しています。

これらは「頭を使うこと」が共通しています。

「頭を使うことって楽しいね!」となるように仕向けているのです。

現段階での目標は「頭を使うのは楽しいと認識すること」ですので、特に勉強にこだわってはいません。

パズルでも将棋でもなんでも良いのです。

頭を使うのであれば、おままごとでも良いし、かくれんぼだって構いません。

相手が幼児であれば、我が家のようにベクトルを変えるのもそう難しくはないでしょう。

でも、相手が中学生ともなると話は別です。

自分の考えをしっかり持つようになり、相手の意見をすんなり受け入れることもなくなってくるからです。

例えば「髪を切る」にしたって、自分がその必要性を感じなければ中学生は切ろうとしないでしょう。

幼児であれば「髪を切った方が可愛い」とか「かっこいい」というだけですぐ乗ってくれます。

友人Y

女の子は幼児でもこだわり強いよ

では中学生になってしまった我が子のベクトルを変えるにはどうしたらいいか。

結局は「他の楽しさに気づかせる」しかないのですが、今手にしている「スマホやゲームの快楽」を手放させるのが最初の一歩です。

そもそも、なんでスマホやゲームをしてしまうのでしょうか?

友人Y

楽しいからでしょ

もちろん、楽しいからですが、ではなぜそれを楽しいと感じてしまうのでしょうか。

スポーツで体を動かすのだって楽しいし、友達とおしゃべりするのも、漫画を読むのも楽しいでしょう?

友人Y

たしかに

SHIMIZU

では何故それらをしないの?

友人Y

スポーツは着替えたり、スポーツする場所にいくのが面倒でしょ~

友人Y

友達とおしゃべりは、友達と時間が合わなければできないでしょ~

友人Y

漫画は……スマホいじってて忙しいから、読む時間ない

SHIMIZU

手元にスマホがなくて、漫画があったら読む?

友人Y

そりゃ読むね

SHIMIZU

じゃ、手元にスマホも漫画もなくて、教科書しかなかったら?

友人Y

うーん……ぼーっとするか、寝る

こういったやりとりをすると、スマホやゲームをしてしまう理由が見えてきます。

「手軽で、暇をつぶせて、あまり頭を使わずに一人でも楽しめる」

これらがすべて逆なら、スマホやゲームはやらなくなるでしょう。

友人Y

そりゃそうだ

「手軽さ」をなくすには「鍵をかけた箱にスマホをしまっておく」とか「使う度にいちいち親に許可をしてもらわないとできない」とか、何かしらの煩わしいハードルを設けることです。

計算問題を10問とかないと開かない鍵とかがあれば、「もうめんどくさいからスマホなんてやらない」となりそうですよね。

友人Y

広告みたいに、定期的にスマホの画面にワークの問題とかが表示されて、それを解かないとその画面が消えないというシステムなら、そのうちやらなくなるかも。

次は「暇をつぶせる」ですが、暇があるからスマホをいじってしまうわけです。

友人Y

暇をなくせばいいと

SHIMIZU

それができればそれがいいんだけど

友人Y

どんなに忙しくても暇を見つけちゃうよね

SHIMIZU

そうしないと疲れちゃうからね

ここは一つ、暇をなくすと考えずに「暇を別のものでつぶす」と考えてみましょう。

友人Y

例えば?

SHIMIZU

小説を持ち歩くとか、知恵の輪やルービックキューブを持ち歩くとか。

スマホを手にしていなかった頃は、何かしらの方法で暇を埋めていたはずです。

友人Y

何してたんだろうなぁ。もう思い出せないなぁ

SHIMIZU

雑誌読んだり、音楽聞いたりしてなかった?

友人Y

あ、してたわ

SHIMIZU

待ち合わせのとき、人間観察とかしてたでしょ?

友人Y

待ち合わせはいつも待たせる側だったからなぁ

おそらく、スマホがないならないで、暇を埋める方法はすぐに見つかるはずです。

ただ、最後の「あまり頭を使わずに一人でも楽しめる」というのが厄介です。

待ち合わせのときにカバンの中に漫画でも入っていれば、それは頭を使わずに一人でも楽しめるでしょう。

でも、そういうのもなくて「通る車のナンバーを使って、瞬時に計算する遊び」なんかをしようとしても、頭を使うので疲れます。

疲れるのですぐにやめてしまいます。

友人Y

そもそもそんなことやろうと思わない

「頭を使わずにできるスマホ」の代わりに「頭を使わずにできること」を探していては、結局頭を使うことを避ける人になってしまいます。

頭を使うことを楽しいと感じないと、なんだかんだ結局は続かないんですよね。

頭を使うことを楽しいと感じない人にとっては、頭を使うことは苦行以外のなんでもありません。

その状態のまま、スマホから漫画にベクトルを変えたところで、勉強するようにはなりません。

運動で考えてみましょう。

ここに読書が一倍好きな子がいるとします。

その子は体を動かすことを楽しいと感じません。

そんな子が「野球は楽しい」「サッカーは楽しい」と言われても、積極的にやることはしませんよね。

だからといって「家にこもって読書ばかりしていたら体が弱くなる。だからこれから読書禁止!」と言ったところで、野球やサッカーなど運動をするようになるかと言ったら、ならないでしょう。

読書を取り上げられたら、今度は絵画をしたり、習字をしたり、とにかく体を動かさずに楽しめる何かに向かうでしょう。

それでは運動させようと読書を取り上げた人の思惑どおりにいかないことは目に見えています。

頭を使うことが好きな子。

体を動かすことが好きな子。

その子の特性や環境で出来上がった性格は、そう簡単に変えられるものではありません。

友人Y

つまり、これってお手上げってこと?

もしこの部分を変えたいのであれば「誰か」に頼ることが良いんじゃないかと思います。

例えば、頭を使うのは好きだけど、体を動かすのは嫌いだとします。

言いやすいように、頭を使う=勉強、体を動かす=運動とします。

勉強は好きだけど運動は嫌いな人が、嫌いな運動をする理由は「友達にバスケやろうと誘われた」「お医者さんにジョギングして脂肪減らさないと死ぬよと脅された」といった外部からの要因が一番でしょう。

運動嫌いな人が「俺は運動が嫌いだけど頑張ろう!」なんて自分一人で思い立って運動するなんてことはまずありません。

「友達にちょっと太ったって言われた」とか、そういう理由があるはずです。

逆に、勉強嫌い、運動好きの場合は「自分が好きなYouTuberが歴史好きで、自分も歴史に興味を持つようになった」とか。

「好きな人に同じ高校に行けるように頑張ろうと言われた」とか。

こういう外部的なはたらきかけで、好きに転じることはよくあります。

逆に言えば、そういうのがなければ好きにならないという、他人任せになってしまいますけれど…。

でも、自分から変えられるのであれば、すでに変わっていたはず。

変わっていない現実を見れば、自分から変えられるものではないと悟るでしょう。

そうなると、他力本願だろうが神頼みだろうが、そういった外部要因が訪れるのを待つしかありません。

結局は「ベクトルを変えなければ!」という思いを抱くことがスタートライン。

スタートが切れたら、試行錯誤しながらも進むしかありません。

健闘を祈ります。

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この記事を書いた人

学習塾Lilyの講師。筑西市出身。
「いかにわかりやすく教えるか」を追求することを好むが、教えすぎない指導を心がけている。

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