のんびり

豊かに仲良く暮らしていた縄文時代の日本人も、稲作が始まった後は争いが絶えなくなります。

日本という国の形ができた頃から、京都大阪が中心だっため、争いはその地域が中心です。

平安時代には関東地方でも平将門の乱がありましたけれども、京都付近と比べると争いは圧倒的に少なかったと思います。

戦国時代ともなると日本各地、どこを切り取っても戦は絶えません。

日本は各大名がそれぞれの領地を治める群雄割拠となりました。

そんな時代も長くは続きません。

小さく細かくなったあとは、くっついて大きくなっていきます。

A,B,C,D,E,Fの国があったとします。

Aは隣のBにやられないようにBをやっつけようとしますが、1対1を挑んでは勝てないかもしれないし、勝てたとしても自分の被害も大きくなるため、Cと手を組んでBをやっつけます。

BをやっつけたあとはCとBの領地を半分ずつにわけ、それを手に入れ1.5倍に大きくなったAと、同じく1.5倍になったCができます。

大きくなったCを見て、さらに隣にいたDは焦ります。

このままではCに負けてしまうからです。

そこでDは隣のEと手を組んでDEとして一つの国にまとまります。

そうすると、今度はさらに隣のFが危機を感じて、DEの仲間に入り、DEFとしてまとまります。

今度はCが危機を感じてAと手を組み、AC国ができます。

ACとDEFの2大勢力の出来上がり。

大抵は、こうやって2大勢力が均衡して落ち着くのです。

友人Y

アメリカの2大政党的な?

SHIMIZU

それもそんな感じだったんだろうね。しらんけど。

こんな感じで、大抵のものは力が均衡するまで衝突を繰り返します。

群雄割拠の日本でも同じです。

裏切りや騙し合いあり、下剋上あり、全国各地で戦が繰り広げられました。

各地に散らばる城を見れば、いたるところで戦があったとわかります。

ただ、良いのか悪いのか、ここ茨城はあんまり戦の話を聞かないんですよね。

戦国時代に常陸の国を治めていたのは佐竹氏なのですが……。

友人Y

誰それ?はじめて聞いた

SHIMIZU

戦国武将の中でもかなりマイナーだよね

織田信長や豊臣秀吉は、政治の中心である京都の近くであれこれやっていたので有名なのはわかります。

でもそこまで中心じゃなくても、信州の武田信玄や北陸の上杉謙信なんかも皆知ってますよね。

友人Y

俺でも知ってる

SHIMIZU

伊達政宗は?

友人Y

それも知ってる。仙台あたりでしょ?

SHIMIZU

正解

友人Y

余裕

SHIMIZU

じゃ、佐竹義重は?

友人Y

誰それ

やはり、茨城県の佐竹氏の知名度は低いようですね。

この辺の戦の話をあまり聞かないので、戦が少なかったのでしょうか。

友人Y

単純に人気なかったんじゃん?

この辺に城を建てるなら、見晴らしの良い筑波山に建てそうなものですが、そういった跡も見られません。

戦とは無縁で、のどかに暮らしていたのであれば、それはそれで良いのですけれど。

そういったのどかさが、この辺の地域の人ののんびり感や人の良さに一役買っているのかもしれません。

周りにライバルがいないと、のびのびと過ごすようになります。

周りに中学校がない明野中の子達がのびのびしているのは、そんなところから来ているのではないかと思います。

まあ、競う相手がいないと切磋琢磨がなくなり、学力テストも低くなるという可能性もありますけれど……。

それが良いか悪いかはわかりませんが、その地域の特色はそれまでの歴史が形づくっているのだろうなと思います。

Lily周辺はこのままのんびりとしていてほしいなぁと思います。

その中で娘達も健やかに育ってほしいものです。

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この記事を書いた人

学習塾Lilyの講師。筑西市出身。
「いかにわかりやすく教えるか」を追求することを好むが、教えすぎない指導を心がけている。

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