国語の問題文は為になる話がちょくちょく出てきます。
物語文も面白いですし、国語のテストは割と好きな僕です。
高校時代に国語の教科書に、夏目漱石の「こころ」が載っていました。
といっても、一冊の本のほんの一部分ですけれど。
クラスメートが授業をそっちのけで、教科書に載っている部分を全て読み、さらには自分で買っていました。
勉強が得意ではないクラスメートのその行動が意外だったので今でも覚えています。
そんなふうに、ついつい読んでしまう国語の文章。
今日、Lilyっ子が解いていた国語のテストの問題文も、解説のために私も読みました。
そこに書いてあったのは、読書の長所について。
今のSNS時代は、時間があればすぐに友達とおしゃべりしてしまう。
でも、そのおしゃべりでは自分を高めることはできない。
読書はいいぞ。とにかく読め。
ということが書いてありました。
その主張に説得力を持たせるための具体例として「日常会話では自分の知っている言葉で成り立つのであまり新しい言葉を覚えないが、読書では知らない言葉がバンバン使われているので、新しい言葉を知ることができる」といったようなことも書かれていました。
たしかにそうだなぁ……。
それが感想?
うん
感想文としてはダメダメだね
百聞は一見にしかずという言葉があるように、聞くより見る方が圧倒的に早く理解できるとは思います。
だからといって、映像ばかりに頼っているのもよくないかもしれないなぁと。
なんていうか、楽な方に慣れてしまうというか。
文章を読むことを面倒だと感じてしまったら、だんだん活字離れをしてしまうんじゃないかなと。
同じように、字を書くことも一度離れてしまうと、書くことに抵抗ができてしまうのではないかなと。
スマホでフリッカー入力に慣れた人は、文章を書くときに「紙に鉛筆で」というのは億劫になると思います。
でも、毎日鉛筆を持って字を書く中学生にとってはそこまで億劫ではないと思うのです。
中学生に聞いたら億劫だと言われそうだけど
1km離れたコンビニに行くのに中学生はすぐ自転車に乗りますが、車に慣れた大人は自転車という選択肢をなかなか選ばないでしょう。
こんな感じで、楽な方に流されてばかりも良くないなと思うのです。
読書は確かに疲れます。
でも、やっぱり必要なんだろうなぁと思うのです。
ということで、我が家では娘達になるべくたくさん本を与えて、読書が当たり前の生活になってもらおうと思います。
すぐに誰かの主張に影響される私からは以上です。