好きの反対は嫌いではなく、無関心。
「無」というものの負のエネルギーはものすごいです。
「成績を上げるのが難しい生徒は、どんな生徒?」と聞かれたら、大半の先生は「無気力な生徒」と答えるでしょう。
数学が苦手でも、国語が好きならOKです。
国語に向いたベクトルを、数学に向けることができれば数学もできるようになります。
国語に向かって伸びた矢印を、数学の方に向けるのです。
でも、そんな矢印がどこにも伸びていない場合が大変です。
今は勉強に矢印が伸びていないとしても、スポーツに向かって伸びてさえいれば、その矢印の方向を勉強に向けるだけでいいのです。
スポーツでなくても、遊びでも恋愛でもなんでも良いです。
どこかの方向に長い矢印があれば、それだけでまずはOK。
例えば、色恋沙汰ばかりの女の子だとしてもいいのです。
好きな男の子が一高に行くと知った場合、そこに一緒に行きたい女の子は急に頑張り出したりするのです。
その男の子と喧嘩したり、その子を嫌いになったりすると、勉強しなくなっちゃっいますけれど……。
とりあえず「矢印が伸びている」という状態があるので、OKです。
この矢印が、火種になります。
火種がないと燃え上がらないのです。
「なーんにもやる気が起きない」と言って、一日中ぼーっとしているおじいちゃんのような中学生がいたら、それが一番の問題です。
「勉強できなくても構わない」
「負けても悔しいと思わない」
「好かれなくても気にしない」
こんなふうに「無」に侵されてしまうと、そこからエネルギーを生み出すのは至難の業です。
勉強には無気力であっても、ゲームやスマホには夢中というのなら、それはそれでOK。
夢中になれるような矢印、育ててと言って育てられるものじゃない気もしますが、頑張って育てましょう。