「なんでだろう?」
その疑問符を持つ人は将来有望です。
新中学3年生の集団授業は理科の気象を扱いました。
「洗濯物が乾くのはなぜ?」と尋ねると、たいてい「太陽があるから」と答えが返ってきます。
毎年この時期になると気象の授業でこの質問をしますが、返ってくる答えは毎年同じです。
やっぱりみんな太陽のせいって思っているのね
「太陽」という答えが返ってきたあと、私は再び問いかけます。
「でも、太陽が出ていないときも服って乾くよね?部屋の中に干しておいても乾くでしょ?それはなんで?」
ここで生徒たちは考えます。
おそらく、今までの人生の中でこういったことを考えたことがなかったのでしょう。
学校や塾の授業で問われて初めて「言われてみれば確かになんでだろう」と考え始めるのだと思います。
この時、「自分が納得する答えを得られないと気持ち悪い」と感じるか、「答えがわからなくても気にしない」かで、勉強に向いているかどうかがわかります。
理科で習うからとか、テストに出るから、という理由で頭に入れるとすぐ忘れていきます。
でも、自分で疑問を持って興味を持って調べると覚えているものです。
ゲームだって「どのモンスターにはどの系統の魔法が効くか」といったことは覚えてますよね。
それは興味を持っているからでしょう。
興味を持っているものは、自分で調べずに人から聞いた知識だとしても身につくものです。
そうやって考えていくと「興味を持つ」ということがいかに大事かがわかります。
でも「興味を持たせること」が難しいこと難しいこと。
「興味を持て」と言われても、興味を持つようにはなりません。
むしろ逆に、強要されたら拒否反応が起こるでしょう。
それでも興味を持たせたい場合は、自分自身が興味を持つことが最初の一歩です。
例えば、子供にバスケに興味を持たせたいなら、自分自身がバスケに興味を持たないといけませんし、植物に興味を持たせたいなら、自分が植物に興味を持たなくてはいけません。
自分は野球が好きだけど、子供にはバスケをさせるというのはなかなか難しいでしょう。
子供は親が楽しそうにしていることを真似したくなるものです。
ここにヒントがあります。
「楽しそうに見えること」に人は興味を持つのです。
とはいえ、親も人間です。
親自身の興味の幅にも限界があります。
私だって、正直、道端の草に興味はありません。
でも、そのままだと、娘も興味を持ちません。
そこでするのが「興味のあるふり」です。
「この水色の小さなお花はオオイヌノフグリって言うんだよ」
「『スギナ誰の子ツクシの子』って言うんだけど、本当はツクシの子じゃないんだよ」
こうやってスマホを片手にこっそり調べて得た知識を、さももともと持ち合わせていたかのように披露します。
それでもこうやって雑草を見る癖をつけると、今度は親が何も言わなくても、子供が勝手に雑草を見ていろいろ話してくれます。
我が家では私が小春に言ったことを、小春が日和に伝えます。
親としてはここまでで良いかなと思います。
この先、子供たちがそのまま草に興味を持って、植物博士になってもいいし、そのうち別のものに興味が移っても構いません。
大切なのは「興味を持つ」ということを教えてあげることだと思います。
興味を持った小春は「なんでだろう?」といろいろ私に尋ねてきます。
「なんでこのお花は青いんだろう」
「なんでこんなところにたんぽぽが咲いているのだろう」
そのなんでだろうに私もタジタジになります。
が、ここで必殺技。
「おうちに帰ったら図鑑で調べてみようね」
このフレーズを何度か繰り返したら、小春自身も「図鑑で調べてみよ~っと」と言うようになりました。
ふぃ~
あ、そうそう、洗濯物が乾く理由は「湿度が100%じゃないから=周りの空気が水蒸気で満たされていないから」です。
どんなに天気が良くても、洗濯物の周りが湿度100%なら乾きません。
洗濯物についている水分が空気中に逃げる場がないので、ずっとそこにとどまってしまうからです。
空気を温めると、含むことができる水蒸気の量(飽和水蒸気量)が増えるので、洗濯物の水分が入り込む余地が増えます。
ですから、太陽が出たり、温めたりすると乾きやすいというイメージがあるのはその辺からくるものでしょう。
「濡れた髪をそのままにしてもいつの間にか乾くけれど、ドライヤーを使うとすぐ乾くのはそういう理由」というと納得してもらえます。
普段から考えることを苦にせず、いろんなものに興味を持つと、勉強したときの吸収力がぐんと上がります。
その最初の一歩は、親自身の興味(または興味があるふり)です。
一緒に頑張りましょう