人には無限の可能性があります。
でも、すべての可能性を追いかけるには人生は短いのです。
そこで取捨選択が必要です。
野球でプロを目指すなら、ピッチャーなのかバッターなのかをはっきりさせないといけません。
両方できるのは大谷選手くらいです。
でも、その大谷選手でさえも野球とサッカーを同時にはできません。
やはりどこかで取捨選択していたのでしょう。
その選択を誤ると、その後の人生の難易度が上がります。
私はスポーツ選手の道を選んでいたら、果てしなく険しい道のりになっていたことでしょう。
マラソン選手ならいけたかもしれないと思ってる
思うだけなら自由だからね
文型教科のほうが得意なのに、理系に進もうとすると大変です。
勉強が好きじゃないのに進学校を受験するのも辞めたほうが良いでしょう。
生徒の立場ではなく、親の立場で言い換えると
「勉強が好きじゃない子を進学校に行かせるのは辞めた方がいい」となります。
厳しい環境に置いたほうが成長につながるという考え方も理解できますけれど。
「進学校に行かせたい」という場合は「勉強好きな子」にしていくことをしたほうが良いでしょう。
いくら親が言ったって、そう簡単に勉強好きにはならないでしょ
もともとその子が持っている性質もあるので、絶対とはいえません。
でも環境が大きく左右するのは間違いありません。
でも、バスケ大好きな親から将棋好きの子は生まれにくいのです。
子供は親を見てるからです。
バスケを楽しそうにする親を見て、自分もやりたくなるのが子供です。
子供は、親が楽しそうにしてる姿を見るのが好きなのです。
愛されている実感ができるからです。
子供は親に愛されようと、親が喜ぶことをします。
兄弟喧嘩をしたり、お皿を割ったり壁に穴を開けたりと、親を怒らせるようなこともあるでしょう。
それでも根底には「親を喜ばせたい」という思いがあるのです。
親が喜ぶことをするのが子供。
ということは、「うちの子が勉強してる♡」と親が喜ぶと、その子は勉強するでしょう。
うちの子、俺が喜ばなくてもゲームばっかりやってるんだけど
あとは、親が楽しそうに勉強していると、子供も一緒に勉強するようになります。
君も勉強しなさい
うちの子はゲーム好きな子でいいや
子供は親に似てしまうもの。
子供の前では少し踏ん張らないといけませんね。
俺の気の休まるところがなくなるー
君はいつも気が抜けてるでしょ