Hey 「いつのまにか」じゃない
自分で選んで歩いてきたこの迷路 Woo!
B’z / ねがい
私にとってのB’zの全盛期は1995年代の「LOOSE」あたりです。
『ねがい』『love me, I love you』『LOVE PHANTOM』などヒット曲を連発してました。
でもB’zで一番有名なのは「ultra soul」だろうね
あのインパクトに勝てる曲はないね
私はよく”人生は2択の連続”と考えます。
「やる」か「やらない」かの2択です。
それの積み重ねで、今があると思っています。
昨日の「明日を信じない」の記事にも通じますが、”やらない人”は2択を逃し続ける印象があります。
宿題を今やるか、やらないか。
「あとでやる」「明日やる」というのは「今やらない」ということを選択しているということです。
今なら「宿題をするかYouTubeを見るか」の2択で済みます。
でもここで「YouTubeを見る」を選択したとしましょう。
つまり、宿題をやらない選択です。
でも、宿題はいつかはやらないといけないので、そのうちまた「宿題をする」という選択肢が行動の中に表れます。
さっきなら「宿題をやるかYouTubeを見るか」だった選択肢が、夜11時を過ぎた頃には「宿題をやるか寝るか」の選択肢に変わってきます。
睡眠はYouTubeよりも大事です。
そうなると「宿題」か「睡眠」かでは、睡眠を選んでも健康的には正解ということになるため、睡眠を選びやすくなります。
宿題は翌日の土曜日に持ち越しです。
そして土曜日、突然ディズニーランドに行くという話が舞い込んできました。
「宿題をやるか、ディズニーランドに行くか」
「宿題は帰ってきてからでもできる。でもディズニーに行くのは今しかできない。ディズニーなら今日の一日が一生の思い出になるかもしれないし」と言って、ディズニーを選びます。
こんな感じで、選択肢は日々刻々と変わっていきます。
その中で「勉強」の選択肢を逃し続けたからこそ、今の成績があるのです。
「自分はなんでこんなに勉強ができないんだろう。いつのまにできなくなったんだろう」なんて言いたくなるかもしれませんが、「いつのまにか」じゃないんです。
自分で選んで歩いてきたのです。
Woo!
逆に、勉強の習慣がある人は、勉強をやるという選択肢を選ぶ回数が多かったのです。
ということで結局、自分の人生は自分の責任。
B’zの『ねがい』の続きの歌詞を送ります。
ねがいよかなえ いつの日か
そうなるように生きていけ
B’z / ねがい