やってきたことの歴史とおなじくらい
UVERworld / One stroke for freedom
何をやらなかったを大切にしたい
なんでもかんでも情報が手に入る昨今。
あらゆるものはYouTube一つあればなんとかなっちゃいます。
高校受験や大学受験などの勉強系はもちろんのこと、DIYやガーデニング、美文字トレーニング、ヨガ、料理……
ない情報はないんじゃないかと思えるほど、いろんなものが溢れています。
ちなみに私が自分一人でLilyの水洗トイレをウォシュレットトイレにパワーアップできたのもYouTubeのおかげです。
このYouTube、便利です。
便利なものには罠があります。
「使いすぎる」という罠です。
面白い動画を見つけて、それに見入ってしまうと、あっという間に1時間、2時間が浪費されてしまいます。
情報が簡単に手に入る今は”情報を手に入れること”自体に価値がなくなってきました。
情報を持っているだけで「すごいですね」と言われる時代ではありません。
情報はあって当たり前。
その情報の真贋を見極めたり、情報を使いこなせるかどうかという時代になってきています。
そして、大量に手に入る今だからこそ、取捨選択が必要です。
断捨離という言葉が一斉を風靡しましたね。
最近はそんなに聞きませんが、断捨離の考え方は重要だと思います。
何を足すかではなく、何を引くか。
今までは、足すことが良しとされていました。
免許や資格は持っていればいるほど良い、といった感じで。
でも、一度立ち止まって「本当にそれがいるか?」を考え、そしていらないものは手放すのが重要になりました。
自分の部屋に勉強机もコンポもゲームも漫画も「あったほうがいい」と言って足しまくっていくと、足の踏み場もない部屋ができあがります。
心地よい空間にするために必要なものは驚くほどシンプルです。
人の経歴も同じです。
経歴を語るとき「どこの高校に入った」「どこの大学に入った」「どの企業に就職した」と足し算をするのが普通です。
でも、それと同じくらい「しなかったこと」も大切だと思います。
例えば「人を殴って傷つけることはしなかった」「ポイ捨てはしない」などなど。
当たり前と言われたら当たり前です。
でも、この「しなかった」ことも素晴らしいと思うのです。
高校時代にやんちゃをして、同級生に怪我をさせて退学して、その後更生してボランティア活動に精を注ぐという生き方があるとして、後半はもちろん良いことですが、それがあるからと言って、同級生に怪我をさせた事実をスルーするわけにもいきません。
もちろん、過去のことを何時までも言うのも野暮ってなものですが、きれいさっぱりすぎるのも不公平感がありますよね。
だからよく、テレビなどで「昔はワルだった自慢」みたいなものには、冷ややかな意見が出てくるのでしょう。
「俺、あんな悪いことやったぜ」と自慢気に語るより「俺、やらなかった」と言う方がかっこいいこともたくさんあります。
「やらなかった」ことに対しても評価されると良いと思っていますが、実際はなかなか難しいです。
まず「やらなかった」ことを挙げるのが難しい。
例えばスポーツの場合は「バスケやってた」なら言えますが「野球はやらなかった、水泳もやらなかった…」と、やらないものの羅列は無理があります。
「やったらすごいこと」「やらないほうがすごいこと」がちゃんと分かっていないといけません。
まぁ基本的には「皆がやりたいと思っていても、なかなかやれない」っていうのは「やったらすごいこと」、
「皆がこれはやっては駄目だよね」っていうのは「やらないほうがすごいこと」です。
ですが、「これはやっては駄目だよね」っていうのは「未成年の喫煙や禁酒、強盗などの犯罪」などなど。
これらは「やらなくて凄い」なんて褒められません。
だって、やらないのが当たり前なんですから。
そう考えてしまうと「やらないことを誇る」というのは難しいのです。
でも、この「引き算の意識」は持っていたいと思います。
例えば「”YouTubeにハマって1日1時間を無駄にした”という愚行をしなかった」っていうのは、マイナスがなかっただけではなく、+になっていると思うのです。
その1時間を掃除に当てたりすることで、部屋がきれいになりますし。
その場合は「YouTube見なかった」じゃなくて「掃除した」っていう足し算で言うんじゃない?
そうなんだよねー
やっぱり、引き算だけじゃ駄目なのかもしれませんね。
冒頭のUVERworldの歌詞も
「やってきたことの歴史とおなじくらい
何をやらなかったを大切にしたい」
ですからね。
やっぱり、どっちも大切ってことですね。