いきなり「でも」から話し始めるのをよく見ます。
私の妻も「でもさ、今日行っちゃった方が良いんじゃない?」なんて言ったりします。
「でも」というのはそれまでの文をひっくり返すときに使う接続詞なので、そんな使い方は変です。
変ですが、日常ではそんなシーンによく遭遇します。
妻に尋ねると「自分の頭の中ですでにやりとりがあって、それを否定するつもりで”でも”と言っちゃう」とのこと。
例えば(明日なら仕事も休みだから、子どもを耳鼻科に連れて行くなら明日のほうがいいかな)と頭の中で考えていて、その後「でもさ、今日行っちゃった方が良いんじゃない?」と言うということです。
しかし、その頭の中のセリフを知る由もない私にとっては、いきなり「でもさ」から始まって変となるのです。
小学生の娘の言動を見ていても「でも」から始まることが結構あります。
妻の影響かなと思ったのですが今日、国語の授業をしていてひらめきました。
「”でも”の後には筆者の主張がある」ということを直感的に理解しているのではないか、と。
「しかし」や「でも」の後にくる言葉は、話し手が伝えたい主張です。
娘も、主張したいことがあるから「でも、行きたい」みたい言うのではないだろうかと。
ということで、私の中で「”でも”から話し始めるときには、①頭の中ですでに会話が始まっている場合と②主張したい場合がある」という結論に至りました。
日常ではよく使っているのに、国語の問題に対峙したときにはすっかり忘れてしまうんですよね。
意識するだけで国語はできるようになりそうな気がします。
ということで、引き続き国語を頑張りましょう。