以後、藩とは言わない約束

今日は県民の日です。

ずっと茨城で過ごしていたので気づきませんでしたが、県民の日って全ての都道府県であるわけではないのですね。

そして、県民の日という呼び方もまちまちで、日付はバラバラです。

茨城県は今日ですけれど、なぜに今日、11月13日なのだろうと考えたことはありませんか?

私は学生時代は休みだからラッキーとしか思っておらず、その由来なども考えたことがありませんでした。

が、大人になって、県民の日は全国共通ではないと知り、気になりました。

そして調べた結果わかったのが、

茨廃藩置県後、始めて「茨城」と使われた日を記念して県民の日が11月13日になったということです。

他にも、県民の日ができたのは1968年で、全国で3番目の早さということもわかりました。

友人Y

やるじゃん、茨城

さあ、中学生の間ではおなじみの「廃藩置県」が出てきましたね。

何も知らずにその名を聞くと「ハイハンチ剣」とか「ハイハンチ拳」を連想してしまうでしょう。

友人Y

いや、しないでしょ

「明治時代になっても藩のままだと江戸時代と変わらないじゃん。よし、藩を廃止して県を置こう」ということで行われた廃藩置県。

中央集権国家にするための政策でしたね。

何年でしたっけ?

そうです。

藩とは言わない廃藩置県。

いわない、1871年です。

ちなみに茨城県の由来は「明治4年11月13日に、茨城県という県名が初めて使われたから」だそうです。

友人Y

明治4年って西暦でいうと?

SHIMIZU

1871年

廃藩置県の日付は旧暦の1871年7月14日(8月29日)だそうです。

そこから3,4ヶ月経って茨城県と呼ばれたということですね。

じゃあ、その3,4ヶ月の間はなんて呼ばれてたのかと気になるでしょう。

答えは「水戸県」でした。

水戸藩▶水戸県▶茨城県 です。

水戸県の期間が随分短いですね。

なぜそのまま水戸県ではなく、茨城県にしたのでしょうね。

この辺は、興味を持ったらぜひ調べてみてください。

明治が始まったのが1868年。

その100年後の1968年に茨城県の県民の日が制定されたのですね。

その100年間は激動だったと思います。

今から100年後は2124年。

想像もつきませんね。

歴史をきちんと学ぶと、日本が好きになると思います。

日本が好きな人が増えて、平和な社会でいられたら、孫やひ孫も幸せに暮らせるでしょう。

そんな未来に思いを馳せながら、今日も歴史の勉強です。

おしまい。

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この記事を書いた人

学習塾Lilyの講師。筑西市出身。
「いかにわかりやすく教えるか」を追求することを好むが、教えすぎない指導を心がけている。

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