辞世の句といえば、死を前にして読む詩です。
詩といっても、俳句や短歌くらいのかなり短いものが多いです。
静岡県知事だったの川勝知事が辞めるとき、細川ガラシャの辞世の句を述べたことがちょっとしたニュースになりました。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
細川ガラシャ
花も花なれ 人も人なれ
私が何も見ずに思い出せる辞世の句は、豊臣秀吉の
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
豊臣秀吉
難波のことも 夢のまた夢
です。
他にも記憶に残るような辞世の句を紹介しましょう。
あ、その前に、松平定信の寛政の改革が厳しすぎて、その前の田沼意次の時代が良かったなという歌があるんですが…
白河の 清きに魚も すみかねて
もとの濁りの 田沼こいしき
あ、聞いたことある
この歌の作者は太田南畝(なんぼ)という人です。
世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし
ぶんぶといふて 夜もねられず
という歌も残しています。
これは「文武両道」をかかげた松平定信のことを批判しています。
先程の歌といい、寛政の改革がよほど窮屈だったようですね。
そんな太田南畝の辞世の句は
今までは 人のことだと 思ふたに
太田南畝
俺が死ぬとは こいつはたまらん
正直者ですね。
そして、この軽さがいい味だしてますね。
おもしろき こともなき世を おもしろく
高杉晋作
すみなすものは 心なりけり
この世をば どりゃおいとまに せん香の
十返舎一九
煙と共に 灰左様なら
十返舎一九といえば、化政文化を担う一人ですね。
『東海道中膝栗毛』の作者として有名です。
彼の辞世の句には、掛詞が使われています。
「どりゃおいとまにせん(おいとまにしよう)」は、「どれ、そろそろ帰りましょうかね」ということですが、その最後の「せん」が次の「線香」のせんと重なっています。
この世をおいとまして、あの世に帰りましょうかねと言ったあと「はい、さようなら」と言って落語のオチのような軽い挨拶をして終えますが、そこにも「線香」「煙」から連想される「灰」が使われています。
さすが、文字を扱う人の辞世の句ですね。
他にも
善もせず 悪も作らず 死ぬる身は
式亭三馬
地蔵笑はず 閻魔叱らず
人生が平凡に終わってしまったな…という感じが、大衆の支持を得そうな辞世の句ですね。
辞世の句を残しているということは、その前に死を覚悟していたということ。
辞世の句を残すという文化はなかなかに深みのある文化だと思います。
当時は有名人のみならず、一般人も辞世の句を読んでいたらしいのですが、その文化も明治時代には急速に廃れ、戦後にはなくなったそうです。
J-Popの歌詞を書けと言われたら、かなり大変でしょう。
一曲が長いですしね。
でも、俳句や短歌くらいであれば、書けそうな気がしますよね。
辞世の句の文化、復活してくれたらいいですね。
私も考えておきたいと思います。