基礎がしっかりしていれば、その先は早いものです。
9Aクラスの集団授業は年度が変わって2回目にして、早くも因数分解の仕上げに突入しました。
学校での進度に当てはめると5月上旬といったところでしょうか。
この吸収力を考えると、他の子達と足並みを揃えて学習するのがもったいないような感じがします。
この「足並みを揃える」というのは、勉強だけなのが興味深いところです。
習い事の場合、できる子はどんどん先のことをやりますよね。
例えば水泳では、バタフライができる子はビート板の子と一緒のことをやらないでしょう。
学年も年齢も関係なしに、できる子はどんどん先に進みます。
そしてそれを誰も批判する人はいないし、当然のように受け入れていると思います。
ショパンを弾ける子が皆に合せてかえるの合唱を練習することなんておかしいと誰もが理解しているにも関わらず、学校の勉強はショパンを弾ける子にかえるの合唱を一緒にやることを求めます。
学校の勉強となると、とたんに「平等」を求めるのが興味深いです。
そして、逆もまた存在します。
学校の勉強は習得が遅い子にとっては早く感じるでしょうけれど、その子を待つこともありません。
水泳で例えると、全体がクロールを習い始めたら、ビート板を使わなければ泳げない子も、クロールの練習になります。
当然、ビート板の子はクロールの練習は合いません。
実際の水泳教室なら、その子はビート板ができるまでその練習をしているはずです。
皆に合せてレベルが違う練習をしないでしょう。
これも当然のこととして、大人も皆受け入れていますよね。
「なんで他の子がクロールの練習をしているのに、うちの子だけビート板なの!」なんて言う保護者はそうそういないでしょう。
習い事で考えると平等でないのが当然ですが、学校の勉強だけ例外になっているのです。
とはいえ、それは仕方のないことだと思います。
現在のシステムで、習い事のように習熟度によって学校の授業内容を変えるというのは難しいでしょう。
やるとしたら、タブレットで各自が自分の進度に合った勉強をする、というスタイルが一番現実的になるでしょう。
でも、それを学校に求めるのもなかなか酷な話です。
ちなみに、保護者としての私は学校は現状のままで良いと思ってます。
ということで、そういうのは塾の出番。
学校で1ヶ月かけて習得する分野を2日で終わる生徒には、2日しか時間をかけないといったことができます。
で、実際にそれをやったAクラスの授業。
受けている生徒達も切磋琢磨して、楽しそうでした。
Aクラスの数学も、学校より半年前には終えられそうです。
が、中高一貫教育と比べれば、それでも少し遅いペースでしょう。
上には上がいることを意識しながら、これからも頑張ってもらいたいと思います。