癖の許容範囲

誰にでも癖はあります。

理想のフォームを教えたところで、それ通りにできる人は20%くらいでしょうか。

野球のスイングも、ゴルフのスイングも、頭の中に理想のフォームがあってもそれ通りに体を動かすのは思った以上に難しいものです。

そんなに体を動かさなくても、小さな動きでさえも難しいものがあります。

それが「お箸の持ち方」「鉛筆の持ち方」です。

理想の持ち方はさんざん刷り込まれているはずですが、結局自分が持ちやすい持ち方になってしまいます。

Lily内をざっと見渡しても、正しい鉛筆の持ち方をしているのは20%くらいです。

かくいう私も正しい持ち方ではないため、今も練習中です。

さて、この正しい持ち方、どこまで強制すべきでしょうか。

矯正と言ってもちょうど良さそうです。

父親が厳しくて「お箸を正しく持てないなら、ご飯を食べるな」と言われた私の友人がいます。

食事の時間が苦痛だったそうです。

が、正しく持てている今があります。

じゃあ、その厳しさを有り難さと受け止めているかというと「微妙…」だそう。

苦痛の食事の思い出があるので、素直に良かったと言えないようです。

正しい持ち方ができればそれが一番ですが、それができないとしてもどの辺まで許容するのかが難しいところです。

出来上がった形が合っていれば、書き順は関係ないというのがアルファベット。

対して日本語は、ひらがなから漢字まで、すべての文字において書き順の正しさを気にします。

欧米人からしたら変なこだわりに見えることでしょう。

欧米人にとって文字は「情報を伝える道具」でしかありません。

対して日本人はそれに加え「芸術」を見出しています。

さらに日本人は書かれた文字だけでなく「書いている姿」にも美を見出します。

これを窮屈だという人もいるでしょう。

でも、私は肯定派です。

自分ができているかと言われたら、できていませんけれど。

SHIMIZU

姿勢をよくしようと心がけてはいる

文字がきれいにかければ、ノートもきれいになり、それを見るだけでも楽しいと感じます。

親にそう仕向けられたわけではありませんが、私はそういう芸術的な感覚は持ち合わせているようです。

改めて考えると、この感覚は得だと思います。

SHIMIZU

習字やってたから、その影響もあるのかも

最初から「バットの振り方なんてなんでもいいよ」と教えてしまえば、みんなバラバラなフォームでやるでしょう。

でも、「これが理想のスイングだよ」と答えを一つ示せば、そこから大きく外れる確率はだいぶ減ると思います。

そういう意味でも、小さい頃に「正しさ」を教える意味は大きいと思います。

ただ、そんな時期を過ぎてしまったとしても、あとの祭りではありません。

14歳からでも、40歳からでも正しさを身に着けることはできるはず。

正しさを持っていれば、間違うことも少なくなりますし、修正も容易いです。

中学生で言うなら、まずはノートを正しい途中式で埋めるように頑張りましょう。

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この記事を書いた人

学習塾Lilyの講師。筑西市出身。
「いかにわかりやすく教えるか」を追求することを好むが、教えすぎない指導を心がけている。

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