答案1枚で、俺の何がわかるんだ!
と言いたくなるのは中2病。
全てがわかるとは言いませんが、案外わかるものです。
漢字の問題で、読みが全て正解なら
「この子は本が好き、または該当学年の教科書をちゃんと読めている」とわかります。
読みが全て正解でも、書きが全て不正解だったとしましょう。
その場合は「読書は好きかもしれないが、コツコツ努力をするのは好きではない」ということがわかります。
読書が好きであれば、たいていの漢字は読めます。
読めなくても、調べたり誰かに聞いたりして、ちゃんと読めるようにするはずです。
でも、読書には漢字を書く必要がありません。
なので、読書だけでは漢字は書けるようにはなりません。
漢字を書けるようにするには反復練習が必要なのです。
ポケットモンスターを見ているだけではピカチュウは描けません。
ピカチュウを描くには、描く練習をしなければなりません。
それ以前に、「ピカチュウを描く前提」で見なければなりません。
アウトプット前提で物事を見ているかどうか。
実はすでに「見る」時点で勝負は始まっているのです。
このとき、読書を楽しむだけで終わってしまう子は「読みはできるが書きはできない」という状態に陥ります。
次に「漢字を書かない子」について。
例えば裸子植物を「らし植物」と書いたり、法隆寺を「法りゅう寺」と書いたり、本初子午線を「ほんしょしごせん」と書いたり……。
そういう傾向にある子は「ミスを避けたがるタイプ」と見受けられます。
また先程同様「コツコツ努力を嫌がるタイプ」といえるかも知れません。
筆圧が強く字が濃い子は「自信がある」、筆圧が弱く薄い字の子は「自信がない」と見られます。
文章を書いて答える問題を空白にする子は「考えることが好きではないタイプ」と判断されるでしょう。
国語で「三十字でまとめなさい」といった問題の場合ならさらに「情報をまとめて発信する能力が欠けている」とみなされます。
こうやって答案一枚から、いろんなことがわかるのです。
とはいえ、わかるといっても、推測の域に過ぎません。
実際は全く逆かもしれません。
そうだぞ。俺は字が汚いが、部屋はきれい好きだぞ
実際は全く逆の人物であったとしても、関係ありません。
なぬ
そう思われた時点で、終わりなのです。
誤解だとしても、誤解された時点で諦めましょう。
例えば、逆上がりができる子がいるとします。
皆の前で披露しようと思ったその時、失敗してしまいました。
本当は逆上がり出来るのです。
たまたま失敗した一回が、皆の前の一回だったというだけです。
それでも、皆の頭の中には「この子は逆上がりができない」と刷り込まれるでしょう。
その後、皆の前で披露する機会が3回あって、その3回とも逆上がりができれば「あ、この前のはたまたま失敗したのか。本当はちゃんとできるんだな」と、誤解も解けるでしょう。
でも、その挽回するチャンスがなければ、皆の頭の中の印象は変わりません。
そして、人は「自分が抱いている印象」でもって、相手に接します。
A君が逆上がりできようができまいが、B君が「A君は逆上がりができない」と思い込んだら、B君にとってのA君は、逆上がりができない人なのです。
俺がどんなに「俺は立派な人間だ」と言い張っても……
おいらの中では駄目人間だね
なぬ
部長がいます。
部下Aと部下Bがいます。
部下Aの方が能力が高く、部下Bは仕事ができません。
でも、部長は部下Aは仕事ができないと思っていて、部下Bの方が能力が高いと思っています。
そのとき、部長はどちらに重大な仕事を任せると思いますか?
B
部長は自分の考えを信じて、部下Bに重大な仕事を任せるでしょう。
本当のところなんて、関係ないのです。
人は印象で判断しているからです。
答案にもその人の本質が表れるとは限りません。
それでもその答案で判断されるのです。
見た目で「あなたはかっこいいので、うちの高校の宣伝になるだろうから、合格!」なんて決められる方が不公平ですよね。
受験生なら皆「答案で判断してほしい」と思うようになるでしょう。
その答案で「この子は我が高校に迎え入れたい」と思わせなければなりません。
そのためには「丁寧に字を書いて、漢字を正しく使って、しっかり答案を埋める」ところから始めましょう。