10分の使い道

今日は茨城統一テストでした。

1教科50分+5分休憩の繰り返しで、5教科を受験しました。

朝8時から夜10時まで、15セット。

SHIMIZU

長かった……

50分でも足りない教科もあれば、50分だと時間が余る教科もあります。

人それぞれペースは違えど、だいたいの子は理科社会の時間を余します。

英語はもともと時間ギリギリ。

数学は解法を考えるのに時間がかかる。

国語は文章を読むのと作文で時間が余らない。

それらに対し、理科社会は「知っていれば答えられる、知らなければいくら考えたって答えは出ない」とはっきりしているので、他の教科に比べてずんずん進みます。

数学のような検算もないので、見直しもすぐ終わります。

「時間を持て余すより、そのスキマ時間でも勉強を」と私は考えています。

よって、時間を持て余しそうな場合は答案を提出した上で、他の勉強OKと言ってあります。

10分余ったとして。

答案を提出する生徒は4割といったところです。

残り6割は時間いっぱいまで答案を提出しません。

どちらが良いというわけではなく、どちらの気持ちもわかるなぁと。

早々に提出して、次の教科の勉強をしたほうが良さそうに思います。

でも、最後の最後まで諦めたくないという気持ちもあります。

作家さんが執筆していて、締切まであと3日あるけれどもう完成させられそう、というとき「さっさと完成させて提出してしまえば、残り3日は気兼ねなく過ごせる」となるでしょうか。

友人Y

なるでしょ。思い切り遊びまくるでしょ

そうはならないようです。

友人Y

なんでよ

残り3日あるときは、ギリギリまで「もっと良い表現はないか」と粘ってしまうそうです。

漫画家も同じ。

「3日あるなら、もっとここを描き込もう」という欲がでて、結局ギリギリになってしまうそうです。

おそらくこれは芸術家に共通する性質なのではないかと思います。

芸術には答えがないので、時間の許す限りギリギリまでやりたいと思うのでしょう。

芸術家にとっては、時間を余らせるということは「どこか妥協してしまったのではないか」という疑心になるようです。

友人Y

まあ、たしかに早すぎる提出は雑にやったように見えるかもね

こういった心理は芸術家のみならず、中学生にもあるんじゃないかなと思います。

答案を提出する=その後ミスに気づいてももう手がつけられない=時間ギリギリまで粘って考えれば良かった。

それよりは時間いっぱい使って、その後ミスに気づいても「時間がなかったんだから仕方がない」と自分を納得させられる。

そんな風に思うのではないでしょうか。

友人Y

俺はすぐに提出しちゃうけどね

SHIMIZU

その後ミスを見つけても後悔しなそうだよね、君

友人Y

10分あったってどうせミスを見つけられない

SHIMIZU

やってみなけりゃ、わかんないじゃん

友人Y

逆に、合っているものを直してバツくらったりするかもしれないじゃん

A「時間が余っていたのに、見直しもろくにせず、ミスに気付けなかった」

B「時間が足りなかったので、ミスに気付けなかった」

Bの方が納得しやすいとは思いますが、そもそも「時間が足りない」という言い訳をしている時点で、実力不足ですからね。

時間ちょうどに仕上げるのが上級者です。

ただ、残り10分を投げ出すような集中力のなさでは、今後の入試はおろか、その後の人生でも不安が募ります。

最後の最後まで頑張りましょう。

とはいえ、今の時期なら、最後まで粘るより、切り替えて次に行ったほうが良いような気もしますし……。

結局、どちらが正解というのはなさそうです。

10分を、次の教科のために使うのか、今の教科のために使うのか。

どちらにしろ、頭を使っているのであれば良いのです。

駄目なのは、残り10分をただぼーっと過ごしてしまうこと。

頭を使うことに慣れましょう。

試験終了時間をただただ待つということだけはしないように。

10分の使い道をしっかり考えてくださいね。

さて、私はこれから皆の採点でもしてみましょかね。

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この記事を書いた人

学習塾Lilyの講師。筑西市出身。
「いかにわかりやすく教えるか」を追求することを好むが、教えすぎない指導を心がけている。

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