今日は文化祭の振替休日の中学校が多かったため、祝日スケジュールとして8時00分~19時50分開校でした。
朝から来る子はいないかなと思っていましたが、2年生がやってきました。
12時20分まで勉強していきました。
2年生なのにすごいね
真似できないよね
さて、昨日の記事では、中学生がよく混同する「壬申の乱と応仁の乱」「御成敗式目と武家諸法度と公事方御定書」について書きました。
今日はその続きです。
続きといっても、内容は続いていないけどね
執権と管領と老中
中学生がよく混同するのは、幕府のNo.2、つまり将軍の補佐役です。
時代によって名称が違うのですが、それがいまいちよくわからないようです。
鎌倉時代は執権、室町時代は管領、江戸時代は老中なんですけれど……。
執権と管領を入れ替えて答えてしまうパターンをよく見受けます。
言葉に関連性もないため、仕方ないといえば仕方ありません。
鎌倉時代が管領なら「”か”まくら」と「”か”んれい」で無理やり結びつけることはできたんですが、実際は鎌倉は執権なのでそれも無理。
語呂合わせなどではお手上げのパターンです。
ということで、私も簡単に覚える策は持ち合わせていません。
管領
言葉を詳しく見てみると「執権」は「執行する権利」と書くので、なんか偉い人の役職なんだろうな、という漢字はします。
将軍は幕府のトップですので、トップが何かを執行する権利を持っているというのは当たり前のこと。
なのにわざわざ「執権」という役職名がつくということは「本来は持ってないけど、将軍の代わりに執権を持つ」ということだろうと想像できます。
将軍は同時に二人は存在せず、一人しかいないので、すべてのことを執行するのは現実的には無理な話。
そこで補佐役をつけるというのも頷けます。
その補佐役に、将軍の「執行する権利」を与えるということで、「執権」という役職になったのではないかと思います。(あくまで私が勝手にそう推測しているだけですので、あしからず)
ただ、この解釈で納得したとしても、「だったら室町時代も、江戸時代も、将軍の補佐役は”執権”でいいじゃん」と言われたら、言い返せません。
なので「執権とは将軍の補佐役だ」ということがわかっても、それが何時代かまでは特定できませんね……。
管領
管領は「天下を領有し管理する」という意味が込められているそうです。
これまた将軍一人では大変ですので、補佐役にも”天下を領有し管理する権限”を与え、それを管領と呼んだのではないかと推測します。
しかしこれもまた、将軍の補佐役が管領だということがわかるだけであって、それが何時代のことかは特定できませんね……。
「執権」と「管領」を、言葉だけで比較してみましょう。
執権は”執行する権利”ということで、政治の実権を握っていて政治の中枢にいる感じがするのに対し、
管領は”領地を管理する”となると、政治の中枢に関わっている感じはありません。
マンションの管理人だったら、大して権限ない感じがするもんね
そういう納得の仕方できたか
将軍の補佐役である執権といえば「執権北条氏」でおなじみの北条家が代々継いでいます。
鎌倉時代は将軍を差し置いて、執権が目立ちます。
御成敗式目を定めたのも3代目執権北条泰時ですし、
元寇に対応したのも8代目執権北条時宗です。
その当時の将軍は誰だった?と言われても、ほとんどの人が知らないでしょう。
俺も知らん。君は知ってるのかい?
もちろん、知らない
歴史はときの権力者を中心に学んでいくので、鎌倉時代は将軍は最初だけで、その後は執権が目立ちます。
このことからも、執権=政権(政治の権利)を持つ=目立つ=鎌倉時代と連想できますね。
まあなんとか
対して管領。
管領は執権のような強い立場ではなかったようです。
マンションの管理人だからね
(管領という言葉ができた当初、本来はリーダー的な意味合いがあったみたいだけど、混乱するから言うのはやめておこう)
管領は高校生になると日本史で「畠山氏」とか「細川氏」なんかがでてきます。
あれ、なんか聞いたことある
応仁の乱でちらっと出てくる
中学の教科書には
とだけ書かれています。
ということで、鎌倉時代の執権に比べて、室町時代の管領は中学生にとって存在感が薄いでしょう。
鎌倉時代は将軍よりも執権の名前を知っているのに対し、
室町時代は将軍の方が管領よりも有名でしょう。
トップなんだから当たり前といえば当たり前ですけれど。
鎌倉時代が異常だったのか
その辺からも、管領は目立たない=将軍のが有名=室町時代と連想できますかね。
OK
こうすれば管領と執権は間違わなくなるかもしれませんが、まあ、こんな説明をするより、何度も問題を問いているといつの間にか「鎌倉時代の将軍の補佐役=執権」「室町時代の将軍の補佐役=管領」で覚えちゃいますけどね。
老中
江戸時代の将軍の補佐役は老中です。
老中って、若い人でもなれるの?
現代では「老」という感じは、あまり良い意味だと思いませんよね。
でも歴史では「宿老」「老中」「大老」など役職名にも「老」の字が使われているのを目にします。
老はもちろんお年寄りのことですが、歳をとって衰えたという意味よりも、歳を重ねて賢くなったという、尊敬の意味合いが強かったようです。
おばあちゃんの知恵袋てきな?
戦で槍を振り回して活躍する第一線を退き、知恵を持ってアドバイスをする存在になったのが「老」なんじゃないかと思います。
「家老」とか言うしね
20歳そこらのあんちゃんのアドバイスより、50、60歳を超えたおじさんのアドバイスの方がためになることが多いでしょう。
説得力も違ってくると思います。
そんなわけで「老」という言葉を多く用いたんじゃないかと思います。
ちなみに、老中というのは一人ではありません。
4~5名のグループです。
一人だと思ってた
しかも月番。ひと月ごとに替わる
そんなにコロコロと。じゃあ大老は?
大老は一人。緊急事態にしか設置されない臨時の職
普段は大老はいないのか。じゃあ、老中同士で話し合いするのか。
そうだね
学級委員みたいなものか
老中の中でもトップのことを、老中の首座っていうよ。
学級委員長みたいなものか
老中首座は限られた家柄の人しかなれない
昔って家柄大事よね
老中で有名なのは、寛政の改革をした松平定信ですね。
老中って4~5名なんでしょ?それなのに松平定信の名前だけが出るってことは……
松平定信は老中首座だったってことだね
たぶん、松平定信の印象が強いので「老中=1名」という認識になってしまうのではないかと思います。
老中って他にいなかったっけ?
田沼意次?
それだ!田沼意次も老中首座?
ちがうっぽい。田沼意次が老中だったときの老中首座は松平武元、その後松平康福(やすよし)
どっちも聞いたことない
もう一人、有名な老中といえば、天保の改革を行った水野忠邦ですね。
あー、いたね
水野忠邦は老中首座
老中については、教科書でも「老中の田沼意次」「意次の後に老中になった松平定信」などと書かれているため、老中=江戸時代の3大改革あたりと連想できるようで、執権や管領と混ざることはないようです。
歴史にでてくる用語も、きちんと意味を調べれば結構すんなり頭に入ってくると思うのですが……興味を持ってそれをやる中学生ってまずいませんよね。
そもそも政治に興味を持てないし
この辺は大人がうまく主導して、教えてあげていくしかなさそうです。
以上、執権、管領、老中の違いでした。