この感覚、わかりますかねぇ。
ちょっとバスケ部で例えてみましょう。
A、B、C、D、僕の5人がいるとします。
AとBはダッシュ等の走り込みを多くやります。
CとDと僕はシュート練習を好み、走り込みは手を抜きます。
でも、試合で活躍するのはAとBです。
そこで僕は考えます。
なぜAとBは活躍できるのだろうと。
そしてAの発言でわかりました。
「試合の途中でへばってしまって、シュートまで持っていけないなら、シュートがどれだけ上手くても意味はないからね」
僕は試合時間を走り切る体力が必要だということに気づきました。
Aと僕を隔てる壁は”体力”でした。
そこで僕は走り込みをすることにしました。
ふと、気づきました。
「Bも気づいてたんだ!だからBも走り込みを多くやってたんだ」
Aと僕の間には見えない壁があって、その壁の向こうにはAの他にBもいる。
これが冒頭の「見えない壁が見えたときには、その先にいる人が見える」ということだろうなと思います。
成長にはこの「見えない壁が見えるようになる」ことが欠かせません。
子どもが大人になるときにも、この壁がたくさんあることがわかるでしょう。
子どもは「仕事が大変だ」と嘆く大人を見て「大変なら辞めりゃいいのに」と考えるかもしれません。
そう簡単に辞められない理由がわかったら、大人への壁を一枚突破したことになります。
今日、中学2年生の集団授業をして、以上のようなことを考えていました。
今日は1次関数で、2点を通る直線の式を求めました。
しかし、同じ授業を受けていても、差が大きく開いてしまうのです。
それは1次関数の前の単元である連立方程式を習得しているか、さらにはもっと前の1次関数が、さらにはもっともっと前の途中式の書き方が……。
まずは見えない壁に気づくことが大切です。
なぜ隣の子はできて、自分はできないのか。
全てはそういった自ら問うことから始まります。
その問いに自ら答えられれば、壁が見えたということになります。
自問自答が必要なのです。
勉強のできる人、できない人。
仕事のできる人、できない人。
すべては自問自答の習慣にかかっています。
これ、授業中に言えば良かったなぁ
頭の中をこうやって文字にするとクリアになるというのは本当ですね。
授業中にはそんなこと考えてませんでしたが、記事にする上で改めて考えてたら自問自答にたどり着きました。
次の授業では、こういった精神面の話もしようと思います。