昨日は上位層は休まないという記事を書きました。
今日も上位層観察日記です。
上位層の子達の勉強風景を見ていると、思い浮かぶ言葉があります。
それが「淡々と」です。
マラソンランナーに似ていますね。
毎年お正月に見る箱根駅伝。
1位の選手は無表情で淡々と走っている後ろで、必死の形相で追いかける選手たち。
1位の選手は区間を走り終えたあとも飄々としています。
それに対し、全力以上を出した、追いかける側の選手は倒れこむ選手が多いです。
勉強でもまさにそんな感じ。
上位層は勉強したあともケロっとしています。
他の人達が「あーーーやっと終わったー~~。今日はめっちゃ頑張った~~~~」と今にも言い出しそうな雰囲気の中、飄々と帰ります。
この辺も「頭を使うことに慣れている」ということでしょう。
別の言い方をすれば「勉強体力がある」といったところですね。
勉強体力は遺伝なのか、環境のせいなのか……。
先天的か後天的か。
私は半々なんじゃないかと思います。
半分は遺伝的なもので、もともと持ち合わせているもの。
もう半分は自分の努力次第で変えていけるもの。
遺伝を50、環境を50だとして、どちらも満点なら100だとしましょう。
でも、現実にはそんな人はいないので、もっと低い数値になるはずです。
私なら、遺伝は20、環境が40くらいで、合わせて60くらいでしょうか。
勉強する環境がまったくなかったら、20しかなかったと思います。
遺伝が40ある人はそれだけでラッキーです。
でも、勉強する環境下にいなければ、環境0で、合計40。
私は勉強しない人には勝てますね。
実際にはこんなふうにきっちりと数値化できるものではありませんが、こうやって考えてみると面白いでしょう。
あとはどう受け取るか。
「遺伝でほぼ決まってしまうから面白くない」と思う人もいれば、「環境次第で勝てる相手が増える」と思う人もいるでしょう。
遺伝によって半分は決まっているから、つまらない。
環境によって半分は自分で変えられるから、面白い。
私は後者ですね。
遺伝という、生まれながらにすでに決まった能力があったとしても、それだけで勝負は決まらない。
勝負を決めるのは環境つまり「どれだけ勉強したか」だと考えています。
スポーツの世界では遺伝は大きくものを言いますね。
たいていのスポーツは体が大きいほうが有利です。
体の大きさは遺伝が大きく関わってきますからね。
その部分で不利でも、自分の努力次第で上にいる人をやっつけられるから、スポーツは楽しい!とは私は思いません。
むしろ「自分が不利になるスポーツには手を出さない」という思考です。
だから、体の大きくない私は相撲に夢中になることはありませんし、バスケットボール選手になりたいと思いません。
私のような人は多いでしょう。
だから、不利な状況でもNBAに挑んでいった田臥勇太選手や、これから挑む河村勇輝選手は本当にものすごいことをしていると思います。
スポーツに比べて、勉強は遺伝の影響は少なくなるでしょう。
勝負はどれだけ勉強したか、という自分の努力次第になります。
スポーツで必要な体力も、遺伝的にはたくさん持っていたとしても練習を全くしなければ体力はつかないでしょう。
逆に遺伝的には不利でも、毎日練習していれば体力はついていくものです。
遺伝のせいにして諦めるのも、跳ね返そうと努力するのも、その人次第。
勉強も同じですね。
淡々と勉強している上位層の子達。
勉強体力があるのでしょう。
彼らの保護者に話を聞くと、どうやら遺伝的なものではないようです。
もちろん「この子が優秀なのは私の遺伝です」なんていう人も多くないでしょうから、謙遜しているだけかもしれませんけれど。
普通の人は「よし、勉強するぞ」と気合を入れないければならない場面で、上位層は何も言わずにすでに取り掛かっている……。
勉強することが当たり前すぎて、気合を入れる必要がないというか、気負わない感じが上位層にはあるように思います。
こんなふうに、自然体で勉強するということができるようになれば、きっと自分も上位層に……。
まだまだ謎は残っていますので、今後も上位層の子達の観察を続けたいと思います。