幼児は違った言い方をしてしまうということが良くあります。
となりのトトロのメイちゃんも言ってましたね。
「おじゃまたくし」と。
7歳の娘は未だに「タイラヤ」を「タイヤラ」と言います。
「タイヤ」という言葉を知っているので、それに引っ張られてしまうのでしょうか。
4歳の娘はよく歌っているのですが、微妙に歌詞が違っているのが面白いです。
「北風小僧のかんたろう」も「一つ目小僧のかんたろう」と歌っています。
他にも「カルピス一万尺」とためらいもなく大声で歌っています。
聞き慣れない単語を自分が知っている単語に変換してしまっているのでしょうね。
英語のリスニングで、単語を知らないとできないと言われるのも同じような理由かもしれませんね。
聞き慣れない単語は、自分の知っている似た発音をする単語に変換して聞いてしまいます。
言葉をたくさん知るということは、世界を細分化していくということです。
例えば「緑」しか知らない人に取っては深緑も黄緑も全部「緑」になってしまいます。
他にも「青緑」や「中緑」「山葵(わさび)色」なんていうのもあります。
言葉を沢山知っている人にとっては、緑色の微妙な違いにも敏感になりますが、そうでない人に「緑」です。
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」といった喜怒哀楽でも同じです。
「悲しい」には「物悲しい」とか「うら悲しい」があったり、「哀しい」という表現もあります。
「さみしい(さびしい)」にも「淋しい」と「寂しい」があります。
こういう違いを知っていると、より適した表現をできるようになります。
子どもはまだ言葉をあまり知らないので「おなかがいたい」としか言えません。
切り傷での表面的な痛みなのか、便秘の痛さなのか下痢の痛さなのか、はたまた盲腸の痛さなのか、うまく表現できません。

痛みは俺もうまく表現できる自信がない
言葉を知ることで、より細分化された表現ができ、相手に伝わりやすくなります。
でも、同じレベルの言葉づかいしかしない人ばかり話していても新しい言葉に出会えません。
なので、大人と話をしたり、本を読んだりして、新しい言葉に出会うことが大切ですね。
ちなみに私もあえて少し難しい言葉を使うことがあります。
最近使ったのは「視座」ですね。
9年生に向けて話をしているとき「”視座”を高めて」という表現を使いました。
「目線を高くして」とか「もっと上から全体的を見るように」といった、簡単な言葉でも言えるのですが、あえてちょっと難しめの言葉を使いました。
9年生達は「しざを高めて」と聞き取ったことでしょう。
でも、ニュアンスは伝わったと思います。
その後「しざってなんだろう」と思って、聞いたり調べたりした子は自分の中に新たに「視座」という言葉が入るでしょう。
そして自分でもその言葉を使ったときに初めて「視座」をものにすることができます。
私自身、知らない言葉はまだまだたくさんあります。
そんなとき読書は大いに役立ちます。
漢字で載っているのがいいですね。
日常の会話の中では、音だけしかわかりませんので、調べるときは漢字に変換しないといけません。
でも、本には最初から漢字で載っているので一歩違います。
さらに本には、日常的に言わないような表現もよく使われています。
いろいろ考えると、読書が好きな子は学力が高い傾向があるというのは本当だと思います。
子どもたちにはたくさん本を読ませたいですね。
そのためには本が好きにさせないとですね。
本人の性格によるところも大きいと思いますが、親が影響を与える部分もあると思います。
親ができることはしてあげたいと思う今日このごろです。