私にとって幸せは「なる」ものじゃなくて「ある」ものです。
ちょっとここで、Mr.Childrenの『名もなき詩』の歌詞の一部を紹介します。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの
この「愛」を「幸せ」に変えても、ちゃんと通じますよね。
幸せに「してあげる」という表現に、非常に違和感があるのです。
でもまあ、実際にそのセリフを言うシチュエーションを考えてみると、そう言うしかありませんけれど。
友人Y
「幸せにしてあげる」って言うと、相手のために頑張るイメージあるもんね
でも、それを言うなら「幸せに気づかせてあげる」の方が良いんじゃないかなーと思います。
そんな幸せですが、幸せになるためには条件があります。
これをクリアしていないと、幸せに気付けないという条件です。
それは「健康」です。
健康という土台の上に幸せがあるのです。
例えば、お腹が痛くてトイレにこもっているとき「自分は幸せだな」なんて思う人はいないでしょう。
頭痛がひどいときにディズニーランドに行っても楽しめないでしょう。
健康じゃないと、幸せに気付けないのです。
ということで、おそらく坐骨神経痛の私は、幸せに気づく余裕がありません。
足が痛いのです。
座ると痛いし、立っても痛い。
どちらかといえば、立ってる方が楽
冬期講習まであと1ヶ月もないこの時期は、解説ビデオづくりをしたいのですが、いすに座っていられないので作れません。