なければ問題も存在しなかったのに、あったせいで問題も生まれる。
そんな問題が、人生では往々にして現れます。
例えばスマホのSNS。
スマホを持っていなければ現れなかった問題が、降り掛かってきます。
SNSグループでのいじめだとか、
わいせつな画像を送ってしまったりとか、
ネット上の人物にだまされたりとか。
スマホでSNSをすることによって新たに生まれた問題です。
スマホをもってなければ、
SNSをやっていなければ、
そういう問題に直面せずに済んだのに。
中学受験や高校受験も同じように、それ自体がなければ問題も減っていたでしょう。
受験がなければ、
隣の子より勉強ができるとかの比較もなくなりますし、
E判定で落ち込むこともないでしょう。
父親と母親の、勉強や子供の将来に対する価値観の違いによるケンカもなかったでしょう。
新たな世界には、新たな問題が待っているものです。
高校受験でよく見るのが”母と子のバトル”です。
勉強をさせたい母親と、
そこから逃れたい子のバトル。
そして、父親は「まあいいじゃないか、行けるところで」となだめる役。
子供は余計、父親の方に寄っていきます。
中学生とはいえまだまだ子供。
「勉強しなさい」という人と「勉強しなくてもいい」という人がいたら、後者を選びます。
私は父親ですが、我が家ではどちらかといえば私のほうが子供に勉強させようとするパターンです。
そのうち、父と子バトルが繰り広げられるのでしょうかね。
そうならないように、できるだけ自分から勉強する子になるように仕向けたいと思います。
人生のコマを進めてみると「親が言ってたことが正しかったな」と思うことは多々あるでしょう。
例えば、バイク。
高校生や大学生の男子は欲しがるアイテムです。
しかし、危険な乗り物の上、高価です。
親は「あんまり乗らないかもしれないんだから、新車じゃなくて中古にしたほうがいい」と言います。
子供は「買ったら絶対乗る!毎日乗る!大切にするから新車で!」と言います。
そして買ってしまったドラッグスター。
で、実際新車を買っても数えるほどしか乗らない、と。
大人になってから「中古で良かったじゃん」と思います。
でも、そのおかげで今は新車にこだわることはなく、さらには今になってバイクに乗りたいと思わないので、あの10代の経験は良かったのかもしれません。
振り返ったとき、大人が言っていたことのが正解だったと感じることが多いのは、大人の経験値がものを言っていたからでしょう。
大人はいろんな経験をして、自分でもああすれば良かった、こうすれば良かったという思いが蓄積されているので、若い人へのアドバイスにはそんな思いが乗せられているのです。
「好きな子には告白しておいたほうがいいぞ」という大人は、告白せずにしまい込んだま大人になってしまった後悔が背景に見え隠れします。
「勉強はしておいたほうがいい」
これも大人の常套句。
若い頃は笑い飛ばしていた大人の常套句も、いざ自分が大人になってみると、同じセリフを言っていたりするものです。
そして、若者もまた繰り返します。
大人の意見を「はいはい」と聞き流して、あとになって「あのときの忠告をちゃんと聞いておけば」なんていうことを繰り返していくのでしょう。
いつまで経っても、いつの時代も、若者は成人式ではっちゃけちゃうのです。
母と子バトルを含めた親子のバトルは、親が子供を思うところから始まっていると思います。
我が子をまっとうな子に育てたいという思いから、ちょっと背伸びさせたり、しつけたりする延長でバトルになるんだと思います。
背景には、子供への期待があります。
期待するから、叱るのです。
なので、私は親子バトルはどんどんしても良いと思います。
いつか、子供は「自分のために言っていてくれていたんだな」と気づくときが来ると思います。
受験がなければなかったであろうバトル。
でも、これは子供はもちろん、親も成長するためのストーリー。
子供は「勉強しなさい」と言う親から逃れようとします。
親は心を折られそうになることもあるでしょう。
でも、頑張ってください。
その子のためを想って言っていたセリフだと、いつかきっとわかってもらえます。
バトルで子供に負けないように、大人も頑張っていきましょう!