成長の嬉しさと寂しさ

私が高校生の頃、付き合っていた彼女の影響で『赤ちゃんと僕』という少女漫画を読んでいました。

少女漫画といっても、主人公は小学生の男の子で、その子が2歳くらいの弟の面倒を見るという日常が舞台の漫画です。

 

小学5年生の拓也は、母親を事故で亡くし、父と2歳の実の3人で暮らしていて、家族の中では母親代わりの存在です。

 

 

今でも覚えているのが主人公の拓也が弟の実の服を着替えさせるシーン。

いつものように拓也が実の服を着替えさせようとすると、実はその手を払って「自分でやゆの」と言います。

 

 

「実にはさあ、きっともう僕なんか必要なくなるんだよね」

 

 

弟が自分で着替えをしようとするくらい成長した嬉しさと一緒に、寂しさも感じます。

弟に頼られることが自分の存在意義の一つであった拓也。

それが欠け始めたように思えて、自分でも何がなんだかわからない拓也。

 

 

 

高校生の私は「確かに、成長には嬉しさと寂しさがあるんだろうな〜」くらいに思っていました。

その頃から成長の嬉しさと寂しさはセットだということを知ったような気がします。

 

 

 

私になついて、抱っこして、一緒に遊んで、と言っていた姪っ子たち。

姪っ子の保育園の運動会を見に行ったときには「あの子達がこんなに機敏に動いて、走ったり踊ったりしてる」と、鳥肌が立ち、感極まりました。

 

そんな姪っ子たちも、いつの間にか自分たちの世界を持ち、そこで楽しむようになりました。

 

 

最近、自分の娘の保育園の運動会がありましたが、運動会特有の明るい音楽の中で泣きそうになりました。

妻は泣いてました。

 

 

今日、LINEで、ある保護者様と同じような話題になりました。

「お遊戯会などはいつも感動で、娘の演奏会はいつも号泣に近いです」とおっしゃっていました。

 

 

 

親にとって、子供の晴れ舞台は涙なしには語れないものですね。

 

 

そういえば、私の小学校の卒業式、私の母が泣いていました。

当時、少年清水は「お母さんなんで泣いてるの?へんなの〜」って思ってましたが、今ならその気持ちはよくわかります。

 

 

高校生の頃知った「成長に寂しさはつきもの」という言葉は、その後、血の通った言葉として私の中に生きています。

 

 

 

今日の夕方、Lilyに小さなお客様が来ました。

 

「寂しくなって、お父さんにぎゅっとしてほしくなっちゃったんだって」

 

そう言って、妻が娘の小春と日和を連れてきました。

 

「ぎゅっとしてほしい」と言ったのは4歳の小春です。

1歳の日和はわけもわからないまま、妻に抱っこされています。

 

 

私は小春をぎゅーーーっと抱きしめて、抱っこしてあげました。

 

 

満足そうに微笑んで帰っていく小春。

 

 

こうやっていられるのも、あとどれくらいだろうな……

 

 

別れたあと、ちょっとだけセンチメンタルになりました。

 

 

 

みんな、どこの家庭でもこんなドラマが繰り広げられてきたのでしょう。

子供が中学生になって、憎まれ口を叩いたって、子供への愛情は変わらないと思います。

 

一人ひとりが皆、大切な子供です。

 

そんな大切な子を預かっているということを改めて考えていました。

これからもLilyっ子達の将来のことを一緒に真剣に考えて行きたいと思います。

清水のフリートークの最新記事8件

>学習塾Lilyの方針

学習塾Lilyの方針

通塾生の学力向上を第一に考え、行動します。

Lilyのブログを毎日更新します。

CTR IMG