「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
武田信玄が詠んだとされる歌です。
私が住む地区は30軒くらいの小さな集落です。
お店なんてありません。
コンビニは1km上離れています。
信号もありません。
隣の集落と接していないため、大雪などが降ったら孤立してしまいそうです。
そんな集落ですが、子供が多いです。
我が家の隣に、新しい家が建築中で、そこに近所の子(と言っても30歳くらい)が住むみたいです。
10歳以上差があると、小学校も被らないので面識はほとんどありません。
「あー、○○ちゃんの弟か、もうそんな年になるの」という感じです。
限界集落が増えている一方、私の集落は未来が明るいです。
小学生はほぼいませんが、その下の世代は豊富です。
未就学児は10人くらいいます。
小さな集落ですので、世代の波があるんだと思います。
私世代は多いです。
私が小学生の頃は男女合わせて20人くらいいました。
それがだんだんと減り続け、今は確か1人。
通学班も作れません。
でも、これからまた増えていきます。
こんなふうに”人が多い世代”⇨”人が少ない世代”⇨”人が多い世代”と移り変わっています。
人が多い世代の子供たちが、次の主人公になっていく感じですね。
この原因は”この集落で育った人が、この集落で人を産み育てている”からでしょう。
そのままこの集落にいたり、私のように一度上京してから戻ってくる人が多いんだと思います。
この集落の人は、ここが好きなんでしょうね。
私も同じです。
小学生の頃、近所の子達を呼ぶとき、相手が男の子であっても”ちゃんづけ”でした。
ゆたかちゃん、けんちゃん、まこちゃんといった具合に。
君付けもいました。
さとくん、ひでくん、といった具合に。
使い分けは謎ですが、親がそう呼んでたから、そのまま私もそう呼んでいたのだと思います。
年下には呼び捨てだってありそうなものですが、この集落ではほとんどありません。
その理由を垣間見たエピソードがあります。
私の親世代の人たちもまた、同世代の人たちを呼び捨てしません。
それを不思議に思っていました。
あるとき「小学生の頃からみんなお互いを呼び捨てしてなかったの?」と聞いたことがあります。
そしたら「子供の頃は呼び捨てしてたよ」という答えが返ってきました。
「じゃあなんで、今は呼び捨てしてないの?」と聞きました。
すると
「子供が生まれたからだな」と。
「子供が大きくなって、自分の父親が他の父親に呼び捨てされていたら、序列を感じ、劣等感を抱くかもしれない。それは良くないと思って、子供が生まれる頃から、呼び捨てはしなくなった」というのです。
集落の集まりがあったときその様子を覗いてみると、親世代はお酒を飲んでガハハハと笑い合っています。
でも、誰が年上で誰が年下かわかりません。
みんなお互いを”ちゃんづけ”で呼んでいるからです。
「子どもが生まれてからは、呼び捨てにしなくなった」と教えてくれたのは、私の2歳上のゆたかちゃんのお父さんですが、その他の人たちも同じ想いだからこそ、呼び捨てしてないんだと思います。
それがそのまま子の世代にも伝わっているので、私たちも呼び捨てしてないのでしょう。
さらに、この集落の父親たちはみんな子煩悩。
動物園に連れて行ったり、散歩に連れて行ったり、保育園の行事に参加したり、毎日子どもをお風呂に入れたりと積極的に子育てに参加しているようです。
そんな環境にいるので、私も自ずとそうなるようになってしまいます。
まあ、私もまた子煩悩な集落を構成する要因になっているのでしょうけれど。
集落がなくならなず、人が戻ってくる理由はこういうところにあると思います。
良い人のところに人は集まる。
私もその心を受け継いで、大切にしていきたいと思います。