指導者に求められているのは「聞く体制」を作ること。
「俺の話を聞け!」では誰も聞いてくれません。
例えば、近所のおじさんがバッティングフォームに口出ししてきたとします。
そのおじさんが元プロ野球選手なら、そのアドバイスに耳を貸すでしょう。
でも、ただの野球好きな、しかも自身はものすごく下手なおじさんだったら、そのアドバイスに耳を貸さないでしょう。
どちらのおじさんも言っていることは同じだとしても、元プロ野球選手には耳を貸し、ただのおじさんには耳を貸しません。
これは当然のことです。
誰のアドバイスでも素直に聞いてしまうような、素直過ぎる人は上達するのに遠回りしてしまいます。
先生の話も同じです。
同じセリフが口から出てきていても、そのセリフを誰が言うかが、聞き手にとっては大問題。
自分の好きな先生のセリフならすんなり受け入れるし、そうじゃないなら反発します。
聞く体制ができてない子に話を聞かせても意味がありません。
眠い子に何を言っても効かないのです。
うちの娘も、眠くなるとわがままになります。
「そんなわがままは駄目だよ」と言ったところで、聞く体制になっていない娘の耳には入りません。
物事を理解させたいなら、相手が聞く体制になってから。
聞く体制ができている子であれば、先生役は親でも兄弟でも、近所のおじさんでも、画面越しの講師でも全く問題ありません。
そういう子はどんな環境であっても勉強できます。
でも、一般的な中学生はそうではありません。
よって、中学生を指導する際、指導者に求められるのは、相手を聞く体制にすること。
そんなことを娘を寝かしつけながら思いました。