受験勉強をしていると新たな視点を持てることがあります。
国語の説明文の文章や、英語の長文を読んで「へー、そうなんだ」という感想を持つことは少なくありません。
去年、3年生の女の子が「テディベア」の名前の由来を英語の長文問題で知り、それを私に嬉しそうに教えてくれました。
「テディベアはセオドア・ルーズベルト大統領の愛称だった”テディ”から来てるんですって!」」
社会の歴史に出てくるセオドア・ルーズベルト。
そのニックネームがテディということは私も知りませんでしたし、もちろん大統領とテディベアが関連しているなんてちっとも知りませんでした。
しかし、その後調べてみると、たしかにテディベアの名前の由来がルーズベルト大統領だと書いてありました。
また、その子は私立高校の長文問題を見て「この長文おもしろい」と言っていました。
英語の長文は、英語ができない子にとっては苦痛以外の何ものでもありませんが、英語が読める子にとっては娯楽にさえなります。
その長文問題は、パイレーツ・オブ・カリビアンだか、ディズニーだかが題材だった気がします。
英語も所詮言語です。
文章の面白さは、言語が変わっても変わりません。
その子はその本質にたどり着けたんじゃないかなと思います。
最近英語をさぼっている私は、本質から遠ざかっている気がしますが……。
新たな視点を持つために受験勉強をするわけではありませんが、受験勉強をしていると新たな視点を持てるという副産物があります。
せっかく勉強するのですから、一粒で二度美味しい勉強のほうが良いですよね。
国語も英語も、長文を楽しみましょう。