本を読むと世界が広がるのと同じように、他の言語を学ぶとまた世界が広がります。
自分の常識が、相手の常識とは違うと思えることもあります。
例えば日本での住所は茨城県筑西市海老ケ島725というように、大きな枠から小さな枠になっていきます。
2021年8月15日午後8時30分、というのも同じですね。
大きな区切りから小さな区切りになっていきます。
これが海外だとちょっと変わります。
Ebigashima725-1, Chikusei-shi, Ibaraki, Japan
という順番です。
考えてみたら名前も日本では「氏→名」ですよね。
苗字が先です。
英語では逆です。
日本は大きな区切りからどんどん細かくしていって、一番小さな「自分」にたどり着きます。
英語圏では逆に、自分を先に言ってから、周りの情報を追加していくイメージです。
日本はズームイン、英語圏はズームアウトと言ったところでしょうか。
住所といえば、日本はエリアで住所を決めますよね。
一定の面積に名前がついているといえばいいでしょうか。
対してアメリカやオーストラリアなどでは「通り」で区別します。
ストリートに名前がついていて、そこの何番目の家に住んでいるといった具合です。
日本で言うなら、国道ワンツーファイブの1234番地みたいな感じでしょうか。
日本は通りの名前は番号ですが、アメリカでは番号ではなく名前がついてるんですね。
その辺も変な感じがします。
通りから離れたところのエリアはどうやって説明するのか不思議ですね。
こんな感じで、自分の中で当たり前だと思っていたものが、当たり前じゃなくなることはたくさんあります。
自分以外の人と会えば、たとえ日本人同士であってもカルチャーショックはあります。
言語を学ぶとそれが顕著に現れます。
だからといって、それを知るために学ぶわけではありませんが、学んでいるうちにそういったことも知ることができるというのが面白いなと思います。
せっかく英語を学ぶのですから、楽しく学べるといいですね。