今日は妻の祖母のお墓参りに八千代まで行ってきました。
もともと墓参りという慣習には異論を唱える私ですけれど、最近はお墓参りも悪くないかなと思うようになりました。
私がお墓に入ったとして、子供や孫にお墓までお参りに来なくていいと思うのです。
私を思い偲びたいのなら、わざわざお墓に来なくても、自宅でいいよと。
そんな場合は、スマホに向こう10年くらいの命日を入れておいて、その日になったらポコーンと通知してくれればOKです。
私の娘や孫が「あ、今日は命日なのか」って気づくだけで良いのです。
そして、10年以上先はもう命日を忘れちゃってOK。
お線香も火事の元になるから、もちろんなし。
妻の両親と私の家族の合計6人で行き、お墓参り後、外食しました。
その後も、妻の実家で遊びました。
孫のためにと、用意してくれたシャボン玉やおもちゃがたくさんあるので、娘も大喜びなのです。
夜ご飯までごちそうしてもらっちゃいました。
こうやって集まる機会にもなるので、お墓参りも悪くないなぁと。
なんの用もないのに実家に行くっていうのも、あまりありませんからね。
墓参りのような理由はちょうど良いのです。
こうやって家族が集まって団欒しているところを、天国から見ているのかもしれませんね。
そのための墓参り、と。
私が天国の祖母の立場なら「ほれ、家族団欒の時間を作ってやったぞ。今を思い切り楽しみなさいよ」と笑って子孫を見守ることでしょう。
こういうことも考えると、お墓参りという慣習も悪くないなと思うのです。
とはいえ、お墓参りのために新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりするのだと大変ですからね。
そういう場合はやっぱりスマホ墓参りでいいかなと思います。
大切なのはお墓の石ではなく、今を生きる人の意思ということですね。
故人をしのぶ気持ちがあれば、場所や方法はなんだっていいんじゃないかなと思います。
こんなふざけたことを言っていますが、ご先祖さまたちには感謝しています。
今の私があるのも、私の子供たちが存在できているのも、ご先祖さまたちが命を紡いできてくれたおかげですからね。
感謝の気持ちはあるので、ふざけた発言もゆるしてもらえればと思います。