英語が読めてもそれが目的ではない

言語の教科書って、作るのが難しそうですよね。

英語は最初I amとか知らない状態なので、それだけで文章を作るには無理があります。

Hello, Emily. I am Kumi.

くらいしか書けませんし、これじゃストーリーも組み立てられませんよね。

 

「私はサッカーをする」なら中1の1学期に言えるようになりますが「ケンはサッカーをする」だと2学期の内容になります。

主語が3人称単数なので、playsにしないといけません。

 

そうすると、序盤のストーリーの中にケンを入れることができません。

そんなふうに制約があるのです。

 

でも、英語の教科書を読んでいくと、自然にちゃんとストーリーが繋がっているので、すごいなぁと思います。

 

 

私が外国人向けに日本語の教科書を作るとしたら、どんな構成にするか全く検討もつきません。

教科書を作る人はすごいですね。

 

 

そんな言語ですが、中学3年生にもなるとだいぶ文法への理解が深まり、言いたいことがだいたい言えるようになってきます。

 

例えば「私は英語を勉強する」という一言をとっても

「私は英語を勉強している」

「私は英語を勉強した」

「私は今、英語を勉強しているところです」

「私は昨日の7時に、英語を勉強していました」

「私は明日、英語を勉強するでしょう」

「私は3年間英語を勉強しています」

 

これらのことが言えるようになります。

これだけ言えればだいぶ伝えられますね。

 

 

そうなってくると、文章を書く方も楽です。

文法の制約がありませんので、面白い話をそのまま書けます。

 

 

読む方も楽しいです。

そもそも言語はそれが目的ですからね。

英語を読むことが目的ではなく、英語で書いてある本を楽しむことが目的です。

 

 

 

入試の長文を解いていて楽しいという声があるのもうなずけます。

 

国語の物語文だって、面白ければテストであることを忘れてその物語に引き込まれますもんね。

 

それと同じ感覚でしょう。

 

 

そうなるためにも、知識は必要です。

知識は楽しむためにあるもの。

 

 

そう考えると勉強の肩の荷も、少し軽くなりますよね。

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