遺伝的ではないと思うし、本能的でもないと思うんです。字の丁寧さって。
感覚的ですけれど、男性のほうが字が雑な人が多いんじゃないかなと思います。
男性のが字が汚い人が多いという前提で話をします。
能力などに差がないのに、なんでそんな偏りができてしまうのでしょう?
おそらく「きれいな字を求められるのは女性のほうが多いから」ではないかと思います。
女性のたしなみとして、字を習うといった感じで。
男の子はわんぱくで良い、字が汚くても問題ないっていう感じで。
農具や工具を使う男性の手は力強いことが求められ、お箸や筆を持つ女性は繊細さを求められるといったところでしょうか。
でも今は男女平等。
字の丁寧さは男性にもあったほうが絶対にいいはずです。
字の丁寧さって、相手を思いやる気持ちとイコールだと思いますし。
どんなに名作であっても、雑な手書きの文字だったら、読めませんし、読もうともしませんよね。
それに字は才能ではありません。
練習の差です。
でも中には、どれだけ練習してもうまくならないという人もいるでしょう。
それでも汚い字と丁寧な字は別物です。
きれい←→きたない
丁寧←→雑
きれいな字がかけないとしても、丁寧な字は書くべきです。
では、丁寧な字を書く癖はいつできるのでしょう。
私は小学生時代だと思います。
その時代に雑に書く子は、大人になっても雑なままでしょう。
「大人になったらできるようになる」これは幻想です。
「大人になったら英語がペラペラになる」だったらどうでしょう?
これは無理だとわかりますよね。
勉強しないと無理だと。
でも、字を丁寧に書くは、勉強のように多くの時間を費やさなくてもできるようになると思っているでしょう。
だから「入試本番では字を丁寧にかける」と思ってしまうのです。
でも、残念ながら難しいでしょう。
普段できないことは、本番でもできません。
普段から「disease」という英単語を知らないままにしていたにも関わらず、入試本番で「その意味がわかった!!」なんていうことはないのです。
普段からできてないと、本番でもできないのは「問題に解答すること」だけでなく「紙に字を丁寧に書くこと」もそうなのです。
字を丁寧に書かない子に対して、それを指摘するのは親しかいません。
隣の家のおじさんが「君、ていねいに字を書きなさい」なんて言ってくれないのです。
隣の家のおじさんは「この子は字が雑だなぁ」と思うだけで終わりです。
学校の先生や塾の講師はどちらかと言えば、指摘するほうでしょう。
隣の家のおじさんよりは指摘してくれると思います。
だからといって、本気でその子の字を変えようとはしません。
先生や講師は「丸付けできる程度であれば構わない」というスタンスだからです。
だって、字の丁寧さから教えだしたら、教えるべき教務内容が教えられずに終わってしまいますからね。
隣の家のおじさんよりは、その子の将来のことを考えている先生達ですが、それでも字のていねいさを指摘するのは限界があります。
諦めずに指摘し続けられるのは親だけです。
ということで、私も娘には字を丁寧に書くことだけは妥協せずにいきたいと思います。