情報がいともたやすく手に入る時代です。
集める気になればいくらでも集められます。
得た情報が正しいかどうかの見極めもしなくてはいけないので、結構大変です。
信憑性を確かめにるには、同じ内容について書かれた記事を2つ3つ読んでみないといけませんし。
そうすると情報を得れば得るほど、その信憑性を確かめるためにより忙しくなっていきます。
最近の新型化コロナの対応もリアルタイムで追っていたら疲れちゃいますよね。
牛肉の商品券から始まり30万円の給付金案が出たと思ったら今度は一律10万円になり、それについても賛否両論で。
自分の考えを確立するためにはその両論に目を通さないといけません。
ふと、以前どこかで耳にした言葉を思い出しました。
「集めるな集めるな。その情報はどうせ必要ない」
現代は台風の通り道が予測できるので、何日後に台風が来るかがわかります。
それがわかることで、雨漏りを直したりと対策が取れるので、情報を得ることは基本的にはプラスになるはずです。
でも、逆に考えると、その台風の情報を得たことで、数日間は不安な思いで過ごさなければなりません。
台風が来るなんて知らなければ、気楽に過ごせた数日間だったでしょう。
今回の新型コロナも、ニュースを一切見聞きしなければそんなに気にしなかったかもしれません。
アメリカやイタリアで死者が何万人も出ているなんてことを知らなければ、新型コロナは怖くありませんし、そもそも新型コロナの存在自体も知らなかったかもしれません。
情報が「新型コロナはインフルエンザみたいなものらしいよ。うがい手洗いをしっかりしないとね」くらいで終わっていたら、そこまで大騒ぎすることもなかったでしょう。
知って辛くなる。
知らないまま気楽に生きる。
こう言い直すと、知らないほうが良いんじゃない?という人も出てくるでしょう。
でも確かにアメリカでものすごい数の死者が出ているという情報を得たところで、自分にどんな影響があるかと言われたら、ほとんどないのが普通でしょう。
アメリカに行く予定があるとか、アメリカに家族や知人がいるとかなら、アメリカの情報は必要なものになりますが、一市民の私にその情報が必要かと言われるとかなり微妙です。
そんな微妙な情報も、知らず知らずのうちに集めちゃってるんですよね。
そりゃ疲れるわけです。
不安になるネタを自ら集めちゃってるのですから。
たまにはニュースを遮断して、目の前の景色だけを感じるというのも良いかも知れませんね。
自粛生活はスローライフを送る期間だと思って、のんびり、ゆとりを持ちたいものです。
もう自粛生活も終わっちゃいますけど