前回の記事の続きです。
親の言うことは避けるよりやった方が面倒臭くないと子どもに思わせるのが大事 かなり真理を突いている一言だなぁと感じます。 例えば、学校で、宿題をやってこない子がいるとします。 その子はなん[…]
これは真理だと思います。
これに関して思うところがあります。
まず1つ目は、面倒くささに気付いていても、それでもやらない場合があることです。
夏休みの宿題に出された絵日記なんかがそうです。
毎日書くのが面倒で、「やらない」選択肢を選びます。
それを続けたことによって、8月31日につけが回ってきて、大泣きしながら一ヶ月分の絵日記を書きます。
次の年の夏休み、8月31日の面倒くささを知っているはずですが、やっぱり「やらない」選択肢を選んでしまいます。
未来に起こる面倒くささを知っていても、やらない場合があるってことです。
子どもにとっての8月31日は遠い先のことで、まだまだ時間があるからそれまでにやればいい、と考えてしまうからだと思います。
一ヶ月後の未来でさえ遠い先のことなんですから、一年後や二年後の受験は遠い遠い先のことです。
そのときの面倒さなんて想像しても実感できないといったところでしょう。
だから、やらない選択をしてしまう。
でも、これは「そんな未来じゃなくて、もっと身近な未来に面倒なことを置く」ことで回避できると思います。
今回の例で言えば「絵日記を書かなかった次の日に叱りつけ、書き終わるまで一切遊ばせない」といった具合です。
毎日これを続ければ、さすがに絵日記をその日のうちに書くようになるでしょう。
そして、2つ目に思うことは「本当にそれがその子にとっていいのか」と考えてしまうことです。
もちろん何だって、やらないよりやる方がいいでしょう。
宿題であれ、仕事であれ、やる人の方が評価が高いはずです。
でも、それを強要しているような気がしてしまうのです。
例えば、勉強が苦手で、宿題もなかなか取りかかれず後回しにしたり、やらない選択をする子に対して。
「そんなのは良くないよ!改善しなよ!」と多くの人が思うでしょう。
でも、その改善が本当に改善なのか。
勉強嫌いの子に無理矢理勉強を教えることは正義なのか。
運動が苦手な子がいたとして、その子にバスケを勧めようというシチュエーションで考えます。
「うまくなればバスケも楽しくなるよ!うまくなるには、練習することだよ!」と言って練習させます。
運動が苦手な子には苦痛です。
「でもキツイのは最初だけだよ!練習していくうちに楽しくなるよ!」と言って練習させます。
これはその子の為になっているのか……。
もちろん、それだけ練習すれば少しはうまくなって、バスケも楽しくなるかもしれません。
でも、練習しても練習してもあまり上達せず、あとから来た人に抜かれていたら、楽しくないかもしれません。
運動が苦手な子に対して、苦手じゃなくなるまで苦手なことを繰り返させるのはその子の為になることなのか……。
もしかしたら、「バスケじゃなくて、トランプしよう」となった方がその子には良かったのではないか。
頭脳を使うトランプゲームの方が才能が開花する可能性も高いでしょうし。
そう考えると、勉強が苦手な子にも何が何でも勉強をやらせるということは合っているのだろうか……。
ただの怠慢で勉強をしないのなら、その怠慢さはなくしたほうがその子の為になると思います。
その子をどういう未来に導きたいのか……。
その子のことを真剣に考えられるのはやっぱり親なんじゃないかなと思います。
私にも2歳の娘がいます。
私はそこそこですが、妻は運動音痴なので、娘もそんな感じがします。
ちょっと鈍くさい仕草が多々あります。
ボールを空振りしても「可愛い」で済ませられますし、鈍くさいのも愛嬌があってすごく良いと思っています。
そもそも運動音痴であっても何ら問題はないので私はそれに対して一切気にしていません。
今はボール遊びやチャレンジバイクを積極的にやっているので、運動がすごく出来る子に成長する可能性もあります。
もう少し大きくなって、娘の得手不得手が見えてきたとき、例えば運動が不得手だとわかったら勉強の方に舵を切るのも一つの手だなと思います。
そのとき「宿題をしたくない」と言ったら、私は「宿題をしない方が面倒くさい」と思わせて、宿題をさせるように仕向けたいと思います。
自分の娘であれば、こんなふうに決定できますが、塾生に対してはちょっと尻込みしてしまうのも事実です。
無理矢理やらせるのが、本当にその子の為になるのか……。
私の模索はまだまだ続きそうです。
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