大学生の頃、僕は絶叫マシーンが好きでした。
中学生まではディズニーランドに行っても、ビックサンダーマウンテンなどのマウンテン系は乗れなかったんですけどね。
コーヒーカップやイッツ・ア・スモールワールドを好んで乗ってました。
それがいつの間にか絶叫マシーンにも乗れるようになり、スカイダイビングまでする始末。
そんな僕が今はどうかというと、乗れるけど乗りたくない、ですね。
単純に乗り物が怖いのではなく、怖いのは人間です。
人間のミスが怖いのです。
大学生まではジェットコースターなんて絶対に止まらないし安全な乗り物だと思ってました。
中国かどこかの遊園地で、空中ブランコの鉄柱が折れて大惨事になった映像を見ても、「それは中国だからであって、日本では大丈夫」という安心感があり、絶叫マシーンのスリルだけを楽しんでました。
ところが大人になってみると、世の中適当な人が多いこと多いこと。
社会人というのはきっちり仕事をするものだと思ってましたが、大半は適当ですね。
例えば「一日の終りに報告書を書く」と決まっていても、それを守らなかったりします。
そんな状況を知ってしまうと「今まで安全だと思っていたものは、実は安全じゃないのかも」と思うようになるのです。
いつだったか、トンネルの天井が落ちてきたことがありましたね。
そういう事故があって、初めて「他にも危険なところがないか点検を!」と騒ぎ出します。
その事故がなかったら、おそらく点検も手抜きだったでしょうし、点検をすることすらなかったかもしれません。
そういう視点で考えると、今乗っているジェットコースターも大丈夫なのか?と思ってしまうのです。
「金属疲労で、ポキっと折れたりしないかな?だってこれ、もう数十年経ってるでしょ?ちゃんと今日も点検したのかな。」と考えてしまうのです。
遊園地の人も、毎日毎日同じ作業をして、問題ない毎日を過ごすと「たぶん今日も大丈夫」と言って、点検に手を抜き始めると思います。
私ならそうしてしまうでしょうから……。
ということで、自分が手を抜くのだから、他の人がそうなっていてもおかしくないと考え、今乗っているジェットコースターもいつ壊れてもおかしくないと思いながら乗っていると、子供の頃から味わっているスリル以上に別の恐怖が襲ってくるのです。
だから、あんまり乗りたくないですね。
自分が「社会人なんだから、毎日同じ作業で意味がなく思えても、しっかりそれをやるべきだ」と考えて実行する人間であれば、自分以外の人もそういうものだろうって思えると思うんですよね。
だから、自分が原因なのかもしれません。
大抵の大人は適当でも、ジェットコースターの点検をする人は人の命を預かっているのだから、その辺はちゃんとやってくれてるだろうと思って、信じることにしています。
でも、それ以上に「今まで何百回、何千回と動いてきて事故がほぼゼロなのだから、確率的に考えて、まあ安全だろう。道路で車にはねられる確率のほうが高そうだし」という数学的な(?)考えで、自分を納得させてジェットコースターに乗ります。
娘が大きくなって、遊園地に行くときはまたこの話を思い出すのでしょう。
娘が「一緒にジェットコースター乗ろう」って言ってきたら、今のような話は一切せずにジェットコースターに乗るでしょう。
でも、いつ事故が起こっても良いように、乗りながらお経でも唱えてようかな〜。