今まで常識だと思っていたことが、実はそうではなかったと知ったときの衝撃は結構大きいものです。
東京に行くと、今まで使っていた言葉が茨城だけで通用する言葉だと思い知られます。
以前も同じような話題で、大丈夫?という意味で使う「だいじ?」を紹介した記憶があります。
今回の話はそんな茨城だけでの話ではなく、日本語全体です。
誤用なのか、正しいのか判断がつかない言葉がいっぱいなのです。
まずは、誤りとすぐに分かるもの。
「台風一家」…サザエさん一家みたいな言い方ですけど、意味不明ですよね。正しくは台風一過。
「シュミレーション」…趣味じゃないですよ!シミュレーションです。英語で書くとsimulationですから。
「青田刈り」…まだ青いのに刈っちゃ駄目です。正しくは青田買い。
間違えやすいのは、他の言葉と似たようなやつです。
「愛想を振りまく」
…たぶん「愛想がいい」と「愛嬌をふりまく」が混ざったんでしょう。
愛想には「愛想をつかされる」というような表現もありますね。
「二の舞を踏む」
…これは「二の舞になる」と「二の足を踏む」が混ざったんだと思います。
同じ轍を踏むって言葉もありますしね。踏みやすいんでしょう。
ここまでは、まあ良いです。
間違いは間違いとわかりますから。
次です。
間違いなのかが分からない言葉。
「情けは人の為ならず」
…間違った解釈は「情けをかけるとその人の為にならないから、厳しく対応してあげなさい」というもの。
これはこれで正しい対応のような気がするので、こう解釈しがちなんですよね。
実際は「情けは人の為ならず めぐりめぐって己がため」なのです。
つまり「情けは巡り巡って自分の為になるのだから、人には情けをかけなさい」という意味。
情けを「かけなさい」と「かけるな」という逆の意味になるのが面白いですね。
そして、この間違った解釈をする日本人が過半数を超えるらしいです。
「確信犯」
間違っていると分かっていることをあえて犯す人ではないんですよ。
自らが正しいと信じて犯罪とされていることを行うことなんです。
宗教的や政治的に正しいと信じ込んでした行動が、社会的には犯罪だったということ。
実行している人は、間違っていると思いながら実行しているわけじゃないんです。
でも、現代では確信犯は「駄目と分かっていてあえてやる」みたいになってますよね。
そして最後に納得のいかない言葉
「失笑」
これは呆れて笑うっていう意味で使ってますよね?
ウケを狙ってボケたら失笑されたといった具合に。
でも実は「吹き出して笑ってしまうこと」なんですって。
我慢しきれなくて、思わず笑ってしまうのが失笑。
それなら「失笑された」は我慢できないくらい面白いことを言ったってことですよね。
でも、生まれてこのかた、そんなニュアンスで使ったことがありません。
あまり言葉の正しさにこだわりすぎると、しゃべれなくなっちゃいますよね。
相手が間違って使っていたとしても、文脈から考えて「こういうことを言いたいんだろうな」って理解してスルーするのが一番だと思います。
とはいえ「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ということもあるので、指摘してあげるのが本当の優しさかもしれません。
これもまた難しい……。