三つ子の魂百までという言葉がありますが、あれは本当のような嘘のような。
私が小学生の頃までは内向的で悲観的な性格でした。
今の私を知っている人からすれば信じられないかもしれません。
今は社交的で楽観的です。
……。
いや、あんまり社交的でもありませんね(笑)
まぁ、普通にしゃべる程度です。
小学生までは目立つことがとにかく嫌いで、学校では手を上げて発表するのも苦手でした。
人前での発表なんてなおさらです。
それが高校生や大学生になる頃には、その逆になり目立つことを楽しんだり、人を集めて楽しんだりしてました。
今はそれも落ち着いて、普通です。たぶん。
そこだけを見れば、三つ子の魂が百までというのは嘘に聞こえますが、自分の内面を見てみると、やはり根底には内向的で悲観的な考えがあるような気もするので本当のようにも思います。
ではなぜ、今はそんな内向的で悲観的、プラスマイナスで言うとマイナスの要素が見当たらないのかというと、おそらくそう演じてきたからだと思います。
中学生、高校生あたりで、マイナスな人はモテないなと分析し、逆にモテる人の要素を取り入れようと半ば無理矢理考えを変えた過去があります。
何かをしたわけではありませんけれど、ネガティブなことを考えたり発言したら、これは良くないなと自分を制することをしていたと思います。
単純にモテたいという感情があったことが幸いだったと思います。
おそらくそれがなければ、マイナスだと思っていながらそれを変えようとはしなかったかなと。
モテたいというのは本能的なものなので、持てと言われて持てる感情ではありません。
生まれつきか何なのかはわかりませんが、そういう感情を持っていたことが吉と出たと思います。
性格には兄弟構成が大きく関係すると思います。
上の子は面倒見がよく真面目になり、下の子は甘え上手でわがままで負けず嫌い。
一般的にはこんな感じでしょうか。
完全にそれに当てはまることはそうそうないかもしれませんが、だいたいは当てはまりそうな気がします。
例に漏れず、私は下の子。
甘え上手でわがままで負けず嫌いは自負しています。
私の妻は3人兄弟の一番上。
私と反対の性格です。
例えば2歳になる我が子におもちゃを買ってあげようとなったとき、私の妻は「親に迷惑をかけないように自分たちで買ってあげよう」と言います。
私は「親も買ってあげたいはずだから、買ってもらおう」と言います。
妻は親には頼らない、私は親に甘えるという構図です。
私は「親だって、孫におもちゃを買ってあげるために働いてるようなもんだから、迷惑どころか嬉しいよ、きっと」なんて勝手に都合よく解釈します。
この辺が甘え上手たる所以ですね。
遺伝と環境と、いろんな要素が絡み合って世界でたった一人の人格が出来上がります。
そして、それはいつまで経っても未完成のもの。
少しずつ変わっていると私は思います。
マイナス思考が必ずしも悪いわけではありません。
マイナス思考は言い方を変えれば慎重で失敗を遠ざける素質があるともいえます。
そのマイナスではなく、自分が自分で悪いと思っているという意味でのマイナス(欠点)を、そのまま「自分はそういうマイナスな(欠点がある)人間だから」というのではなく、そのマイナス(欠点)は無くせると考えた方がハッピーだと思います。
プラスの部分は三つ子の魂百までにして、マイナス(欠点)の部分は三つ子の魂十五までくらいにしておけるといいですね。