時間の流れには2種類あります。直線的時間と回帰的時間です。
中学1年生がやがて2年生になり、そして3年生になって卒業していくというのが直線的時間です。回帰的時間は農業のように、春に種をまき、初夏に苗を植え、秋に稲を刈り、冬をじっと過ごして、また春に種をまき……とぐるぐる回る時間です。
塾講師は回帰的時間の中で生きています。
3年生を送り出したら、新3年生の一年の幕開けです。ついこの前まで卒業生の大きな体を見ていた目には、新3年生は小さく可愛く映ります。このギャップで一年の始まりを感じます。
この回帰的時間の中にいると、自分は年を重ねていない感じがします。私の目に映っているのはいつも中学生です。
毎年毎年、ずっと繰り返すというのは尊いものです。農業を見ればわかるように、毎年同じことを繰り返しているから、毎年お米を食べられるわけです。農家が「繰り返すの飽きた」といって農業を辞めてしまったら、お米が食べられなくなってしまいますからね。
でも、この繰り返しは悪い方にも作用します。繰り返すことにより慣れ、目の前の作業を甘く見てしまうのです。そして、手を抜き、質が落ちていく……。
塾講師もこうなる可能性は十分あります。中学3年生の数学は何十年経ってもほとんど変わりません。1年目だけしっかりやれば、2年目以降はその貯金でしのげてしまうのです。
これが直線的時間だったらそうはいきません。塾講師も生徒と一緒に学年が上がっていったら、中3の後も高1、高2、高3と勉強をしなくてはいけなくなります。この場合は否が応にも新しい知識を身に着けなければならないため、強制的に成長します。
成長のために仕事しているわけではないため、塾講師はやっぱり回帰的時間の中で生きることになります。繰り返すことによって精度が上がる場合もあれば、繰り返すことによって手を抜き堕落していく場合もあるので、回帰的時間自体に善悪があるわけではありません。その中で生きる人次第です。
私は回帰的時間の中で精度を上げていきたいタイプです。本当は1年作れば2年目以降は楽できる解説ビデオですが「こういう教え方のほうがいいかも」と思いついたらすぐに作り直します。その作業は終わらないので、2年目に入った今年もまた解説ビデオ作成中心の生活です。
そうなると1年目は2年目より質が低かったということになりますが、そのときできる最大限のパフォーマンスをしているのでご容赦ください。
例えば、桐生選手が100m生で去年10秒00で新記録を出し、今年9秒98で新記録を更新した場合でも、去年見に行った観客は損したなんて思いませんよね。去年のベストの桐生選手を見ているわけですから。
桐生選手の自己最高記録を見に行たいからといって桐生選手が成長するまで待っていたら、タイミングを逃しちゃいますからね。私の過去最高の解説ビデオを待っていたら十数年待つはめになるかもしれませんよ。
回帰的時間の中で、直線的時間に生きる中学生たちと触れているので、繰り返しの中にも新たな発見が毎年あります。これはこの業界の良いところだと思います。
今年は去年より少し良い年になるように、回帰的時間の中でちょっとだけ背伸びしている毎日です。