多くの人は誤解しているけれど、人を疑うということは、つまりその人間を知ろうという行為なんだ。
多くの人間が『信じる』名の下にやっている行為は実は、他人を知る事の放棄。それは決して『信じる』行為ではなく無関心。無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に多くの人間は気づいていない。
LIAR GAME
疑うことは悪、信じることは善。
嘘をつくことは悪、本音を言うことは善。
今まで習った道徳の本を見れば、だいたいそんなことが書かれています。童話の狼少年や、桜の枝を折ったリンカーンの話なんかが有名ですよね。
でも、本当にそうなのかと考えるきっかけを与えてくれたのが漫画「LIAR GAME」でした。
改めて考えてみれば、嘘の重要性なんて計り知れませんよね。お世辞だって一つの嘘でしょう。その嘘を悪と言ってしまえば、社会はもっと殺伐としたものになっているでしょう。
未来講師めぐるという十年以上前のコメディ・ドラマを思い出しました。それは「主人公はお腹がいっぱいになると、目の前の人の未来が見える力を持っている」という設定のドラマで、例えば20代の主人公が満腹になったあと目の前の彼氏を見ると太ってハゲ頭になった40代の姿に見えるというものです。
そのドラマの中で、本当はその力が無いのに「未来が見える」と嘘をつく占い師が出てきます。最初はその占い師は悪者として描かれていますが、最後には次のように言われます。
「あいつは本当の未来が見えないから、本気で『あなたは助かる』なんて言える。本当は死んでしまうという未来を知っている者には言えない。あいつだから言えることもあるんだ」
このセリフが印象的で、未だに覚えています。
誰かを励ますその言葉が嘘だとしても、それでも言う必要があるときだってあります。真実を口にするだけが善い人というわけではないようです。
口に出した嘘も、真実に変えてしまえばいいわけですしね。
「みんなの成績は必ず上がる!」これは嘘かもしれません。でも、本当だと思って言っています。たとえそれが嘘だとしても、真実に変えてしまいましょうね!