「ちょっと外来てみな」
「なんで?」
「いいから、早く、こっち来てみな」
「やだよ、寒いし」
「そんなこと言ってないで、こっち来てみな」
何度もしつこく言う母親に根負けし、外に出た私の目に飛び込んで来たのは、欠けることなく綺麗な円を描いた満月だった。
親は子に、こんなふうに「きれい」や「すごい」を伝えいくのでしょう。小さな動物を見て「かわいいね」と言ったり、飛んでいく飛行機を指さして「はやいね」と言ったり。体感することで、子どもは副詞や形容詞を覚えていきます。
同じように、親の意見を何度も聞いて、子どもは自分の価値観を作り上げていきます。
この価値観が揺らぐ時期が訪れます。思春期です。
今まで親が言っていた「かわいい」を当てはめて、クラスの一人の女の子を「かわいい」と言ったら、友人はその子を「かわいくない」と言います。
「可愛いと思っていた人のことを、可愛くないと言う友人がいる。もしかして、本当は可愛くないのか……?」
新たな価値観は自分の外側にある未知なものです。未知に遭遇すると、不安で落ち着かなくてイライラします。そして、今まで築き上げた価値観に疑問符を突きつけます。一度、今までの価値観を否定し、遠ざけたくなります。これが反抗期です。
今まで一方的に受けてきた価値観を一度疑い、自分は本当はどう感じるかを確認して、自分の考えを確立していくのです。そして、本当の自分の価値観が出来るのです。
「テストで100点以外は認めない」と言われて育った子が「テストで0点とったって構わないよ」と言われた時、最初はどうしたらいいか分からなくなります。でも、そこで考え、自分はこっちの考え方のほうが良いとなったら、それを選べば良いのです。
一つしかなかった選択肢なら選びようがありません。2つ以上の選択があって、そこから悩んだ上で答えを見つける、その時期が思春期です。思春期にその選択肢を増やせないでいると、自分の考えを持てなくなってしまいます。
では、その選択肢はどうやって増やすのか。
答えは、できるだけたくさんの人に触れて、いろんな考え方を知ることです。
「テストで100点以外は認めない」と言った人は、その人なりの考えがあって、そう言っているわけです。それなのに、次の日になって「別に0点でも構わないよ」と言ってしまったら……?一人の人間が極論の端と端を言ってしまったら、言われた方は混乱するだけです。
だから、一人の人間はずっと同じことを主張していた方が良いです。人間なので途中で考えが変わることもあり、その人(言う人)自身のことを考えると、環境や状況の変化とともに変わっていった方が良いですが、子ども(言われる人)の立場からすると一貫していた方が良いということです。
一貫した一人の人間だけで育てると、子どもはその人の主張しか知らないで育ってしまいます。だから、周りの人が必要なのですね。一人の人間からいろんな考え方を知って価値観を形成していくのではなく、たくさんの人のそれぞれの考え方を知って価値観を形成していく。これが理想的な思春期の姿だと思います。
今までの価値観を疑って一度否定するため、今までの価値観を与えてきた人には反発します。でも、新しい価値観を与える人には反発しません。反発する理由がありませんからね。これが、親には反抗するけどそれ以外の人には反抗しない理由でしょう。
反抗期を経て、親の言う「100点以外は認めない」という考えも悪くないなと思えば、また親の言うことを聞くようになります。今度は、言うことを聞くというより、一人の成人として相手の意見を受け入れるといった感じですね。また、その時、それでも親の言っていたことが間違っていると思っても「そうやって間違いながらも育ててくれたんだから」とか「人間だもの、親だって間違えることもある」と考え、相手を受け入れられるようになります。
誰かが言ったことを鵜呑みのするより、一度疑って自分で考える姿勢があった方が良いと思います。それを「純粋さが欠ける」と表現してしまい、「人が言ったことを疑わずに信じなさい」と教えてしまうと、騙されて痛い目を見る人になってしまいます。
反抗期は大人になるために必要な時期です。逆に、反抗期がないと大人になれないそうです。「うちの子は反抗期がなくて楽だ」なんて言ってると、大人になれない大きな人が出来てしまいますよ!
ちなみに、私は「反抗期がなくて楽」と言われた人です(笑)
「本当に賢い人は、感情に任せて反抗したときの結果をシミュレーション出来るから、反抗すると言っても頭の中で静かに反抗してるだけ。反抗期がないように見えるだけ」と言い返してますけどね。