AIは行司になれない

人は、AIに支配される世界は望んでないと思います。

 

審判がなくならないと思う理由がそれです。人はAIに裁かれたくないというか、一番深いところには人間の感情が関わっていて欲しいと願っていると思います。

 

人間の審判よりAIの方が正確なジャッジができるはずです。テニスやバレーでボールインしたとか、野球でストライクゾーンに入ったとか、サッカーでゴールラインを割ったとか、大抵のことは現代の技術で対応可能でしょう。実際に審判がいないままでもゲームが成り立つでしょうか。少し考えてみました。

 

例えば、行司のいない相撲。ジャッジはスピーカーから聞こえてくるAIの声だとします。そのジャッジに不服と唱えることはできません。なぜなら人間より正確なのですから。AIに不満を抱くなら、その競技をやらない方が良いとなります。人間は不満のはけ口を人間に求めると思うのです。ジャッジが覆らないとしても「先に相手が土についたでしょ」と言う相手が欲しいのです。AIではその聞く耳を持たず、一切の反論を許さないという頑なさがある気がします。窮屈な感じがするのです。

 

勝負を仕切る行司がいて、力士が不服を唱えたとき「俺にはそう見えた。俺は自分のジャッジに責任を持つよ。もし間違えていたら腹を切るから、俺の覚悟もわかってくれ」と行事が言ったら、力士の気持ちは静まる気がします。こんなふうに「この人が言うなら」とか「この人には逆らえない」という想いが必要なのではないでしょうか。それはきっと敬意というものだと思います。この敬意は人間にしか払えないと思うのです。

 

完璧なジャッジをするAIもすごいとは思いますが、尊敬とはまた違う感情です。尊敬の念が、選手を選手たらしめるものだと思うので、AIが審判というのは成り立たないと思うのです。その場を仕切る親分的な存在に、AIはなれないと思います。なぜなら、親分は人間が決めるからです。人間は、AIを親分に仕立て上げられないでしょう。交渉の余地というか、多少の甘さというか、人間らしさがない人には心を寄せられないと思います。

 

今回は相撲の例でしたが、他にも思いついているので、機会があったらまた扱いたいと思います。このブログがきっかけでこの件について考え始めた人がいたら、ぜひ一緒に話をしましょう。そんな日を楽しみにしています。

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