ずっと前から何度も聴いた曲でも、今になって「あ、こんなこと言ってたんだ」と発見することがあります。
浴びるほど名言に触れても、明後日まで覚えているのは1個か2個です。
この2つの事例から「その時の自分が必要としている言葉が残る」ということが導けると思います。今までは聞き流していたけれど、今の自分にとって必要だからと、脳が勝手にその言葉を保存している気がします。最近、そんなふうにやけに耳に残るフレーズがあります。
得意なことがあった事 今じゃもう忘れてるのは
BUMP OF CHICKEN / 才悩人応援歌
それを自分より得意な誰かがいたから」
BUMP OF CHICKENの「才悩人応援歌」という曲の最初の1行です。私は将棋が得意で、近所では負け知らずだったのですが、スマホのアプリで全国の猛者と闘ってみたら、全然勝てないのです。もはや得意だなんて言えなくなってしまいました。現代は、こんなふうにすぐに得意なものを刈り取られる気がします。
私が幼少の頃の世界は狭かったため、絵が上手い人は少なかったのですが、それは単に絵が上手い人を知らないだけでした。いわゆる井の中の蛙です。今じゃインターネットがあるため、どこぞの中学生が描いたものすごく上手なイラストなどもすぐに見つかります。当時の私がそれを見たら、たぶん絵が得意だなんて言えなくなっていたでしょう。
時代に助けられて、私自信は大人になるまで自分は絵が得意と思えていました。今でもそう思うことができるのは、絵は誰かと競うものではないからだと思います。自分が得意だと思っていれば、それでいいのです。絵に勝ち負けはありません。でも将棋は違います。勝負するゲームなので、勝ち負けがあります。負けが続いていたら得意とは言えないのです。
やらなきゃ、知らなきゃ、得意なままでいられたのになと思うこともあります。将棋は別に得意じゃなくなったって差し支えないので、特に気にしてないのですが、たぶん誰かも私と同じように、得意だったことを忘れてしまうこともあるだろうなと思います。
得意かどうかなんて自分で判断するものなので、本当は自分より得意な誰かがいたって、気にせずに得意と言ってもいいんですよ。得意なこと=好きなことだと思うので、得意なことが減ると好きなことが減ってしまいます。好きが減るのは残念なことです。得意な何かがある人はぜひ、自分より得意な誰かに臆することなく、胸を張って得意だと言い張ってください。私もそんなふうにいきたいと思います。