みどりのお兄さん

みどりのおばさんは過保護だから必要ない。甘やかしすぎると、海外では道も渡れなくなる。

 

旅猿というテレビ番組で、バンコクやインドへの旅行を扱っているのを見たとき、そのフレーズを思い出しました。旅猿では、信号はあっても守っている人はなく、行き交う車やバイクをすり抜けて道を渡る人たちが映されていました。私も中国の上海に行ったとき、マナーの悪さに驚きました。クラクションがどこかしこで鳴り響いているのです。クラクションがならない時間はないのかと思って計ってみたら、1分間に平均1回以上鳴っていました。1分間も沈黙できないのです。誰かしらがクラクションを鳴らしてしまうくらい、荒い運転をするドライバーが多いことを物語っていました。

 

日本の治安の良さは海外に行けばわかります。そんな日本にいながら、さらに信号を渡るために大人が見守るなんて、過保護だという意見です。そこだけを切り取ればもっともな話です。自分で安全かどうかを判断して渡ることができなければ、海外の道路なんて渡れないでしょう。そこまでしか考えない人であれば冒頭の意見に賛同するはずです。

 

本当にみどりのおばさんは必要ないのでしょうか。物事の一面を見て、すべてを知ったつもりで考えることを辞めてしまっては、本質を見抜けないままになってしまいます。ここで改めて考えてみましょう。

 

みどりのおばさんがいなかったら困るのは誰でしょうか。道路を渡る子どもたちでしょうか。たぶん、車を運転する大人たちじゃないでしょうか。子どもたちがバラバラで信号や信号のない道を渡っていたら、運転が非常に困難になります。子どもたちの列が途切れなかったら、車はずっと待つことになります。そう考えると、みどりのおばさんを求めたのは、子どもたちよりむしろ運転者ではないかと思います。

 

また、自分で安全かどうかを判断する機会を奪うということいついても考えてみましょう。確かにその1回は判断機会は奪われています。ただ、子どもが道路を渡るのなんて、日常茶飯事です。みどりのおばさんに守られて渡るのは一日数十回渡る道路のうち1回か2回です。残りはすべて自分で判断して道路を渡っているのです。

 

みどりのおばさんに守られて道路を渡る子どもは、やがて上級生になったとき、下級生に対して同じことをするようになります。もし自分がそういうことをされていなければ、下級生にそんなことをできないでしょう。道路とは違いますが、私も小学1年生のとき、上級生に荷物を持ってもらってありがたかったので、自分が上級生になったとき下級生にしてあげた記憶があります。そうやって連鎖していくのです。

 

いろいろ考えると、みどりのおばさんは必要です。だからこそ、なくならないのです。そんなみどりのおばさんが、若いお兄さんになっていました。20歳前くらいの男の子でしょうか。髪を金髪に染めていましたが、手には旗を持ち、子どもたちを誘導していました。彼も小さい頃、同じようにされた経験があるのでしょう。連鎖反応は続いているようです。

 

今回のように、与えられた物事について、自分の意見を言えるように考えることが大切です。英語を学べば国際化ではなく、自分の意見を言えることが大切です。英語はそれを伝える手段にすぎません。テーマは日常に転がっています。みなさんもぜひ自分の意見として言えるように、いろんなことを考えてみてくださいね。

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